ポーランドの歴史
Culture.plは、ポーランド文化国家遺産大臣の支援を受けてポーランドとポーランド文化を世界的に推進している国営文化機関であるアダムミツキェヴィチ研究所の旗艦ブランドです。Culture.plは、ポーランド語、英語、ロシア語の40,000を超える記事を特集して…
ウクライナ上空 カタール・ドーハのハマド国際空港を飛び立ち、約5時間半でワルシャワ到着。途中、黒海を過ぎると眼下にウクライナの穀倉地帯が広がってきます。長細くきれいに整地された広大な小麦やトウモロコシの畑です。 今日、2022年2月27日。 …
キュリー夫人とポロニウム 1867年ワルシャワに生まれました。 当時のポーランドはウィーン会議で分割されワルシャワ公国という名はあるものの実質的にロシアに併合された状態でした。 ソルボンヌ大学で勉強を始めた彼女は、 放射能の研究をし、ラジウム…
ポーランド国民は伝統的に親日的ですが、 それにはいくつかの理由が考えられます。 ㈠日露戦争の勝利 まず、日露戦争で日本が、当時「ポーランドを支配していたロシア」をやぶったことが挙げられます。 日露戦争は1904年2月8日に始まり1905年9月…
16世紀に作られた建物です。 ちょうどクラクフの中央広場の真ん中に構えています。 昔は織物の取引所だったようですが、今は一階はポーランド各地のお土産物産店がひしめいています。 観光用の白い馬車は、ここを起点に広場を周回しているようです。 ちょ…
ジェロナグラの南方のOchlaという村にある民族誌学博物館です。 バスで40分ほど、乗り換えはいりません。 ただ、もともとは別の村(Ochla)なので市内定期カードでは乗り越し乗車になってしまうかもしれません。 また、土曜日と日曜日にはバスの本数が減っ…
18世紀にポーランドは「ロシア」「プロイセン」「オーストリア」の強大国に領土を奪われていきました。1772年、1793年、1795年の3度にわたる分割でポーランド王国は消滅し、世界地図の上から消えてしまいました。 その後 第一次世界大戦のさ…
社会福祉法人 福田会は、ポーランドと歴史的なつながりを持っています。 第1次世界大戦後(1920年)シベリアで孤児となっていたポーランドの子供たち375名が日本赤十字社の援助のもと、敦賀港経由で来日。 東京の福田会(ふくでんかい)に逗留しました。 そ…
はちみつ酒 日本へのお土産に蜂蜜酒とウォッカと発泡酒をいただきました。 蜂蜜酒は初めて。 はちみつ酒 杉原千畝 蜂蜜++水+酵母=はちみつ酒(ミード) ハネムーンの語源になったお酒 はちみつのお酒 [ リキュール 250ml ] 昔、赤玉ハニーワインという甘…
ポーランドには有名な日本庭園が何か所かあります。 ワルシャワ、クラクフ、ヴロツワフ そんななかこの イヲーバの日本庭園はほとんど知られていません。 でもイヲーバの日本庭園は、ヨーロッパで一番古い日本庭園です。 まず、バス停をおりて、街の観光案内…
ポーランドの北側、バルト海に面したリトアニアとの国境に、ロシアがあるのをご存知でしたか。 私は、今まで全く知りませんでした。 世界地図なんて、めったに見ませんし、ソ連が崩壊した後、旧ソ連圏や東欧がいろいろな国に分離したのは知っていましたが、…
3本の旗 ジェロナグラで一番古いといわれている教会。 Grzegorz博士に案内していただきました。 教会のわきの付属の建物の壁に3本の旗が掲げられています。 一本は黄色と白。 二本目は薄いブルーと白 三本目は赤と白 三本目の赤と白の旗は解ります。 これは…
帰国の前日、ジェロナグラ大学のキャンパスBのトップである人文学部長にお会いしました。 学部長は歴史学の専門家のようです。 哈爾濱の黒竜江大学にいたことがあると話すと、即座に「満州ですか」と返ってきました。日本人でもなかなか、哈爾濱の地名がピン…
二つの国境線 Ⅰ カーゾン線 ソ連とポーランドの国境(現在の国境はほぼこのライン) これは第一次世界大戦に定められたポーランドとソ連の国境です。 しかし、この線は「第3次ポーランド分割」1795年・時のプロイセンとロシアの国境。ポーランドが侵略…
7月2日 ポ-ランドから千葉を経由しようやく、札幌に帰ってきました。 7月3日 なんと偶然にも、札幌エルプラザ4F大研修室にて北海道ポーランド文化協会主催の 「カティンの森」のビデオ鑑賞会が開かれました。 アンジェイ・ワイダ監督 2007年作品です。 彼の…
Muzeum Ziemi Lubskiej この博物館の館員は大学の日本語講座の受講生です。 受講歴も長く今期「げんき」の初級Ⅱを修了。 来期は中級へステップアップされる方です。 秋にお伺いしたときに、立派な執務室に案内されました。 そこには、いぜん大学で日本語講師…
このzielona gora にも カティンの森の慰霊碑があります。ちょうど鉄道駅と中心地の間のメイン道路ぞいです。駅前のバス停から50mくらいの歩道の脇です。 いつも誰かが花を手向け掃除も行き届いています。 この慰霊碑の碑文「polakom rozstrzelanyn w zsr…