カティンの森(カチンの森)事件
このzielona gora にも カティンの森の慰霊碑があります。ちょうど鉄道駅と中心地の間のメイン道路ぞいです。駅前のバス停から50mくらいの歩道の脇です。
いつも誰かが花を手向け掃除も行き届いています。
この慰霊碑の碑文「polakom rozstrzelanyn w zsrr prezes nkwd」
「ポーランドの兵士がソ連の最高指導者とKGBによって銃殺された」と書いてあります。
きちんと事実を石に刻み込み残していこうという、強い意志が感じられます。
事実を大国の思惑からずっと明らかに認知されなかったポーランドの無念さも感じられます。戦争犯罪は絶対にゆるさない、だからこそ戦争犯罪の事実を後世に伝えていく努力が必要です。
加害者が嘘をつき、周りが自分の利益から同調し、被害者の声を無視してきた歴史です。この慰霊碑も2005年にやっと建てることができました。
また、脇の小さな石にはKATYN, CHARKOW, MIEDOJE,BYKOWNIA,KUROPAT カティンを含む虐殺現場の地名が。
そして最後に「??????」
まだ、すべての真実はあきらかにされていません。
それは後世の私たちがこれからも真実を追い続けるということでしょうか。
さらにその脇の掲示板には、虐殺された軍人の発掘時の写真が。
本当に死体の山、掘れば掘るほど。
こんなふうにして、ポーランドの人は戦争の歴史を刻み込んでいくのでしょう。
クラクフの教会にも、カティンの森事件で虐殺にあった兵士を弔う副祭壇がありました。
アンジェイ・ワイダ監督の映画でも有名な第2次大戦中の事件です。
ソ連のカティン近郊の森で、当時ポーランドの一部を占領したソ連軍が、武装解除したポーランド軍の将校らを虐殺した事件です。
この虐殺はスターリンの指揮のもとNKVD(KGB)が行ったとされています。
1943年、独ソ戦で侵攻したドイツ軍がソ連のカティンの森付近で、大量の遺体を発見、ドイツはソ連の虐殺行為であると糾弾しました。
ところが、ソ連はそれを否定ドイツ軍の仕業と反論。
イギリスのチャーチルもアメリカのルーズベルトも真実を知りながら公表しませんでした。
終戦後、米ソの冷戦が深まる中、西側諸国はソ連に対する攻撃材料のひとつとして糾弾がすすめ、
さらにゴルバチョフ書記長の時代にペレストロイカとグラスノスチにより、ようやく
ソ連は、1990年「ソ連政府としてカティンの事件はスターリンの犯罪のひとつである」と認めました。
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