親日的なポーランド国民
それにはいくつかの理由が考えられます。
㈠日露戦争の勝利
まず、日露戦争で日本が、当時「ポーランドを支配していたロシア」をやぶったことが挙げられます。
日露戦争は1904年2月8日に始まり1905年9月5日に終わりました。ポーツマス条約で、朝鮮における優越権、旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道に関する諸権利、南樺太を得た日本の大勝利と言われています。
確かに、旅順攻撃、奉天会戦、日本海海戦でことごとくロシアを打ち破った日本です。
18世紀に3度にわたりロシア帝国、オーストリア、プロイセンの3国に領土を奪われ消滅したポーランドは、3国の中でもロシアに対する対抗心が一番強いように思いました。
第2次世界大戦ではドイツの侵攻により戦争が勃発しましたが、たった1か月の短期間にポーランドが滅びたのは、ドイツの侵攻のすぐあと、東からソ連が攻め入った為です。
2方面から挟み撃ちにされたら勝ち目はありません。
そして、もっと以前からもポーランドとロシアは同じスラブ民族ですが敵対していました。
そんなロシアを東洋の小国、日本が一泡吹かせたというわけです。
ちょうど、ロシアを挟んだ隣国のポーランドと日本。
そんなところに、親近感がわいたのでしょう。
1795年に消滅したポーランドはロシアの実質支配に置かれたポーランド立憲王国の時代をへて独立するのは第1次世界大戦後の1918年です。123年もの間、ロシアの支配下にいました。
ちょうど、ポーランドでも独立の機運の高まっていたところに、日本の勝利の報がもたらされたわけです。
㈡シベリア出兵の頃のポーランド孤児救出劇
また、1920年から22年に、日本政府や赤十字社が協力してロシア革命後のシベリアで、親を亡くしたポーランド人孤児を救い本国へ送還してあげた話は有名です。
当時、シベリアには15万人から20万人ものポーランド人がいました。
1918年に独立したポーランドですが、シベリアには19世紀から20世紀初めにかけてロシアによって流刑にされたポーランド人の家族が劣悪な環境下で暮らしていました。
1918年に「シベリア出兵」をした日本は、アメリカなどが撤退した後もシベリアに兵を駐留させていました。
当時ソ連に対抗できる唯一の勢力であった日本は、シベリアにいたポーランド孤児を日本経由で祖国に帰すことができました。
㈢ユダヤ人救出
第2次世界大戦中、リトアニアの日本国領事代理の杉原千畝が、ポーランドやリトアニアから来たユダヤ人のためにビザを発行して、旧ソ連、日本を経由して彼らを逃したこともポーランド人の心をとらえました。
こんな史実がポーランドでは現代にいたるまで語り継がれています。