福田会 なぜ、ポーランドは親日国なのか? 一つの史実
社会福祉法人 福田会は、ポーランドと歴史的なつながりを持っています。
第1次世界大戦後(1920年)シベリアで孤児となっていたポーランドの子供たち375名が日本赤十字社の援助のもと、敦賀港経由で来日。
東京の福田会(ふくでんかい)に逗留しました。
そして、健康を回復したのち、無事ポーランドへと帰還しました。
この史実はポーランドでは良く知られていましたが、日本では長い歴史の中に埋もれてしまっていました。
2009年、当時の駐日ポーランド大使がたまたま福田会の前を通りかかり、それをきっかけにポーランドとの交流が始まったそうです。
2020年、100年を記念しポーランド・フェスティバル2020
の「シベリア孤児来日100周年記念企画」で番組を視聴したところ、
福田会から記念ピンバッジが送られてきました。
このピンバッジはポーランドで発行された「福田会ー希望の家」と記載された記念切手のデザインを使用しています。
100rocznica prezybycia polskich dzieci syberyjskich do Jaoinii
100周年 ポーランドのシベリアの子供たちの日本への到着
Fukudenkai-Dom Nadziei
福田会ー希望の家
真ん中に日の丸と鶴があしらってあります。
また、孤児たちはシベリアから「哈爾濱(ハルピン)」経由でウラジオストックから敦賀港に着いたそうです。
哈爾濱はロシア人の作った街と言われていますが、そのころポーランドという国はロシアに併合され存在しませんでした。
独立は1918年の事。
もしかしたら、哈爾濱を作ったのはポーランド系ロシア人だったのかもしれません。
哈爾濱には今でも「ユダヤ人」の痕跡が多数残っています。
ユダヤ人の建築した音楽ホール
今でも哈爾濱の音楽学校を中心にコンサートが開かれています。
ユダヤ人の集会場
当時の写真がいろいろと掲示されています
手すりには「ユダヤの星」