ポーランド西部、ドイツ国境の街ジェロナグラ

ジェロナグラでの日本語教師生活日記、近郊の街、おいしい食べ物 ポーランドの文化 気がついたこと徒然なるままに。

魔女払いの鈴 ジェロナグラ大学人文学部長からいただいた記念品です

帰国の前日、ジェロナグラ大学のキャンパスBのトップである人文学部長にお会いしました。

学部長は歴史学の専門家のようです。

哈爾濱の黒竜江大学にいたことがあると話すと、即座に「満州ですか」と返ってきました。日本人でもなかなか、哈爾濱の地名がピンとくる人は少ないかなと思います。

私は、満州で知っていたのは瀋陽長春、大連くらいで、哈爾濱という地名を意識したのは、新潟の三越で「金の宝物展」を見た時が初めてでした。金の国の首都が今のハルピンの近くの上京にあったようです。

森村誠一悪魔の飽食」も発売当初に読んだのですが、哈爾濱の地名には全く記憶がありませんでした。

そんな、歴史学の専門家である学部長からいただいた記念品は、「火あぶりにされている魔女」の陶器の鈴です。

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学部長曰く、この鈴は魔除けの鈴、この鈴をならすと魔女が怖がって寄ってこない。

魔力の強い魔女を退治し火あぶりにした。この力を誇示するためにこの鈴を鳴らすと、普通の魔女は恐れおののき退散するという理屈でしょうか。

 

私の感覚と少し違います。そんなことをしたら、他の魔女が復讐のため大挙をなして襲ってくるように思うのですが。

 

そんな風に思う人もいるのではないでしょうか?

藤原道長平将門を祭るのは、霊力があるといわれたその人たちの祟りを恐れてのことです。力の強い者を運よく倒せても、その者の魂が安らぐように奉り、祭り、それによって安寧を願う。それが日本人の気持ちだとすると、西洋人とは大きく違います。

 

それを、鈴をつけて鳴らすのは???

織田信長の発想でしょうか?

織田信長が、日本人離れした思想の持主だというのもわかる気がします。

西洋的合理主義なのでしょう。

 

戦後、GHQ天皇の戦争責任を追及しなかったのも、日本人のこんな気質を考慮してかもしれません。

天皇の戦争責任を追及したら、日本人は恨みを募らせ、連合軍に対し徹底抗戦したかもしれません。

 

魔女と魔女裁判―集団妄想の歴史 (りぶらりあ選書)

魔女裁判―魔術と民衆のドイツ史 (歴史文化ライブラリー)