ポーランド西部、ドイツ国境の街ジェロナグラ

ジェロナグラでの日本語教師生活日記、近郊の街、おいしい食べ物 ポーランドの文化 気がついたこと徒然なるままに。

ワルシャワ 駅から空港まで

帰国もワルシャワ経由です。

6月末のワルシャワ、この日の気温は23度、湿度も64%と天気も良く、一番快適なシーズンです。

日の出が4時16分で日の入りが21時01分。

夜も7時間しかありません。

日中の日差しを避け、みんな夕方から活動するようです。

レストランで食事したり、公園を散歩したり、飲みに出かけたり、街中人出が多く賑わっています。

ホテルを出てこれから、電車でショパン空港へ。

ここは、ワルシャワ駅の駅前。

目の前に「文化科学宮殿」がたっています。この建物は、スターリン様式と呼ばれスターリンによってポーランドに贈与という形で建設されたものです。

私はこの建物、好きではありません。

立派そうに見えますが余分な飾りや窓の貧弱さでなぜか薄っぺらに感じます。

そして、何よりも上のほう四つの方向から見ると時計も窓も同じです。遠くから見るとどちらが正面で、どちらが裏側かわかりません。

つまり、方向を示すランドマークとして役に立たないのです。

大都会のワルシャワ、その駅前にそびえる無駄な建築物です。

 

スターリンといえば、彼はロシア人ではないんですね。600以上の少数民族のいるロシアで彼は「グルジア人」いまでいうジョージア出身です。

栃ノ心」と同郷ですが似ているような似ていないような。

ワルシャワ中央駅(Warzawa Centralna)の入り口。この会談を下ると駅の構内につながります。

右の巨大な泡のようなガラス張りの建物が奇抜です。ショッピングセンターです。

 

キップはプラットホームの上にある販売所で並んで買えたのですが、ショパン空港へ出る電車が来るプラットホームがわかりません。

キップには勝った時間の刻印が押されていてこの時刻以降有効、という意味でしょうか。

仕方ないので、一番近くのホームに降りて待っている人に聞くことにしました。

スートケースとリュック2個、それにショルダーバッグを持ちながらウロウロできません。夫婦らしき人に話しかけたら、イギリス人らしく英語しか話せませんと言ってくれたので、ラッキーでした。旅行者のようですが、4番線から出ると教えてもらえました。

ドーハ行きの飛行機は日本人は一人もいません。中東系の人と、欧州人。

これで、ポーランドも最後です。

 

 

ワルシャワ 最後の日(ワルシャワ歴史地区)

明日はワルシャワショパン空港からドーハ経由で日本に帰ります。

そこで、最後にもう一度、ワルシャワの旧市街に向かいました。

このクラクフ郊外通り(KRAKOWSKIE PRZEDMIESCIE)を進むと両側に大統領官邸やワルシャワ大学をはじめ貴重な建物が点在しています。

 

この通りをまっすぐ進み左に折れると歴史地区の中心です。

1980年ユネスコに「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産登録された所です。

 

通りの右のほう、だいぶ下がったところにヴィスワ川が流れ、その向こうにスタジアムを望めます。

 

 

途中で、写真の屋外展示がありました。

「連帯」の抵抗運動の写真です。

この十字架を背負ったキリストの像を囲む市民の下を盾と警棒を持ちヘルメットをかぶった武装警官が行進している写真、

亡くなったと思われる人の白ペンキの線にろうそくを灯し、座り込む人々、

連帯の文字のポスターのわきで花束を持ち立っている女性。

 

この国の歴史の重い一コマです。

 

 

右側の巨大な建物が王宮です。この正面から左に入った区域が「ワルシャワ歴史地区」と言われる旧市街地です。

 

第2次世界大戦で壊滅しましたが、市民の修復努力により「復元」されたものです。

 

壊滅時の写真はこの手前の博物館に展示されていますが、石造りの建物といえども、絨毯爆撃にはひとたまりもなく、東京大空襲の後の東京の中心地と大差ありません。

ほとんど、壊滅状態、瓦礫の山でした。

 

第一次大戦も第二次大戦も国と国の総力戦です。

その結果が、一般市民を巻き添えにした悲惨な戦いに突き進ませるのでしょう。

でも、市民の住む市街地をここまで破壊する意味があるのでしょうか。

 

 復興した街を見てわかるように、普通の市民が生活をしているだけの場所です。

軍需工場や軍隊の駐屯地があるのではありません。

そこには、普通の市民の暮らしがあるだけです。

 

この復興した街並みと破壊つくされた街並みを同時並行で見比べて初めてここの「復元文化財」としての意味が解るのかもしれません。

 

上の写真の突き当りから左に入った「広場」です

周りの建物は土産物店、レストラン、カフェが立ち並び広場の中心はテントが張られ観光客がビールやワインを飲んでいます

 

 

ポズナン小旅行(1泊)     2019年5月17日~18日

ポズナンの市庁舎広場

観光の中心は市庁舎広場です。

1月にワルシャワに向かう途中、乗り換えの2時間くらいで街を散策しました。

でも、この時は路面電車の切符を買う方法がわからず、残念ながらこの市庁舎広場までたどり着けませんでした。

トラムの中では「コイン」も「クレジットカード」も使えないのです。

ジェロナグラのバスでは両方ともバスの券売機で使えるのですが。

クレジットカードを通すような場所もあるのですが、何遍やっても反応してくれません。無賃乗車も嫌なので、駄目とわかった時点で次の停留所で降りた次第です。

あらかじめ乗車する前に、発券機かキオスクで準備する必要があるようです。

市民はプリペイドの専用乗車カードを使っています。

 

駅から市庁舎広場まではトラムが一番便利なのはわかっていましたが、今回は時間もあるし徒歩でゆっくり散策。

予約したホテルは、市庁舎広場の一本裏側にあります。

多分20分くらいでつくはずです。

 

駅前の高架道路の歩道を右に進むと向かいに森と公園があります。

この公園に沿って斜めに進んでいくと近道です。公園の入り口には昔の城門の要塞を活用したレストランがありました。

 

 

途中古い教会もありましたが、無事、市庁舎広場に到着。

ここの見どころは豪奢な旧市庁舎の建物です。

この建物の時計の上の扉が毎日12時に開くと2頭のヤギが現れ角を突き合わせて戦います。この2頭のヤギがこの街の象徴です。

これが、一番の見ものです。

 

この建物の時計の下が12時になると開きヤギが出てきます

旧市庁舎のわきには幅の非常に狭い長屋のような建物があります。

一軒一軒が色合いが違うのでとてもカラフル。

この建物の一番右側がレストランで、女の子が一生懸命客引き?をしていますが、一向に入ってもらえません。

でも、客引きの女の子も断る客もカラッとしたものです。

仕事を楽しんでいるようです。

明るい客引き?これなら観光地の雰囲気を壊しません。

 

 

広場から50mくらいのところに教会があります。

なかは、とても荘厳な雰囲気。

ポズナンポーランドの最初の首都と言われています。

クラクフの前の王国の首都なのでワルシャワが東京、クラクフが京都とするとポーランド最古の首都と言われるポズナンは奈良のような立ち位置の古都でしょうか。

 

広場の隅では、自家製のようなピアノを持ち込んだ若者がショパンを演奏しています。

広場にごく自然に、ピアノの生演奏が流れる、そんな雰囲気に癒されます。

 

 

 

真正面の建物が教会です

なかのマリア像は必見

今日は早めの夕食をイタリアンレストランで

夕食は早めに、教会手前のイタリアンレストランで。スパゲッティもおいしいのですが、ランチについてくるスープが絶品です。ボリュームも十分あります。

これで、1000円くらい。観光地のど真ん中のレストランでも安いものです。

 

この自転車はレンタサイクルです。自転車で回るのにもちょうどよいサイズの街です

これが泊まったホテルの共有のリビング兼ダイニング。

食事は街で買い込んできて食べます。

 

 

ホテルの入り口は普通の街中の民家と同じ。

普通の家の玄関ドアのわきに小さくホテルの名前が書かれているだけです。

普通の家に入るように小さな呼び鈴を鳴らすと女性がドアを開けてくれます。

 

市庁舎広場に近く便利が良いので、ホテルについてから何遍も出入りしました。

ちょっとビールやおつまみを買いに出たり、早い夕食に出かけたり、手ぶらでその辺を散策したり。

 

そのたびにドアを開けてもらうのも申し訳ないと思い、呼び鈴を押さずに試しに自分の部屋の鍵でドアが開くかとガチャガチャ差し込んでいたら、中から開けてくれて、「その鍵では開きませんよ」と言われてしまいました。

解っていたのですが、試しただけです。

 

 6月はほんとに日が長い。10時になって陽が沈んでも空が少し明るいままです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミレーのリュック

今回の旅行で持って行ったバックは

 

①ミレーのリュック(背負い)

TUMIのリュック(スーツケースに付けるか手持ち)

オロビアンコの小さなバック

④スーツケース(最大のもの1個)

これだけです。

持って行った以外の荷物はポーランドについてから一度、郵パックで送っただけ。

 

Ⅰ ミレーのリュック  (Millet  MO1590)

30年以上前に買ったものです。2年前中国に4か月いた時に使ったのですが

それ以外ほとんど使っていませんでした。

実は、このザック、当時の皇太子さまが山歩きされた時に使われていたのと偶然まったく同じものでした。

色がかなり特徴的なので、なんとなく使わず長い間にしまい込んでおいたものです。

ただ、背負うのに大きさがちょうどよく今回持っていくことにしました。

 

ただ、中国でプラスティックの留め具を2個紛失(大・小)してしまったので、今回の旅行に際しミレーのオンラインストアに連絡し、注文しました。

 

連絡するとメールが来て製品を確認したいので写真を送ってほしいとのこと。

写真を撮って送ったら、数種類の製品が送られてきました。

20MMバックル 1セット 492円

25MMバックル 1セット 492円

チェストベルト 1セット 820円

 

更にメールがきて、ザックの中に要領に合わせたバックライナー(大き目のスタッフバック)を入れたほうが良いとアドバイスをいただきました。

生地の経年劣化で縫い目から破れた事例があったそうです。

メーカーも私の送った写真を見てあまりの古さに驚いたのかもしれません。

ザックがかなり古いので使用には注意してくださいとのことでした。

 

ミレーのカスタマーセンターの親切なご対応にとても感謝しています。

 

 

 

 

 

 

[ミレー] リュック サース フェー 40+5(SAAS FEE) Black-Noir-M
 

 

 

[ミレー] リュック KHUMBU 35 DEEP HORIZON Mサイズ

[ミレー] リュック KHUMBU 35 DEEP HORIZON Mサイズ

 

 

 

 

 

[ミレー] バックパック クンブ 35(KHUMBU 35) Black-Noir-M M
 

 

 

バブルティー

大学のバス停のそばに「allAngolo」というCAFEがあります。

前任の方に紹介されていったのですが、明るくそして静かな店です。

 

背の高い椅子が落ち着かせるのかもしてません。

あるいは、表のガラス張りのサンルームのせいかもしれません。

WI-FIも使えるし、お気に入りの場所になりました。

 

ある日、店の前を見ると「バブルティー」の看板がありました。

以前、T夫妻が授業後、これから「バブルティー」を飲みに行くんだ、と

嬉しそうに話しているのを思い出しました。

「バブルティー」??

 

そこで、カウンターで注文を。

カウンターの女性がポーランド語でいろいろ聞いてきます。

でも、何を言っているのかさっぱりわかりません。

コーヒーであれば、質問はサイズとミルクがいるか要らないかぐらいです。

 

ポーランド語で書かれたボードを見せてどれを選ぶか聞いてくるのですが、

私の答えは「バブルティー」しか言えません。

 

でも、ボードをよく見ると

①サイズ

②お茶の種類

③トッピングの種類

④ミルクの有無

 

それを選ぶようです。

そこで、適当に、お茶は「BLACK TEA」

あとは、更に適当に発音しやすそうなものを

 

注文したものが来たら、「タピオカの入ったお茶」でした。

これは台湾発祥でマンハッタンでも、たぶん東京でも流行っているのでしょうね。

 

ここポーランドの地方都市にもようやく進出したようです。

 

でも、よく見るとタピオカではありません。

ナタ・デ・ココです。

どうも、トッピングのセレクトを間違えたました。

 

さらに、蓋に牛の絵が書かれているところを見ると、ミルクも入れるのですね。

 

ということで、ポーランドの「バブルティー」は飲めませんでした。

 

ところで、この容器、蓋に中国語が書かれています。

まさか、中国から原材料がすべて送られてきていることはないでしょう。

 

台湾発祥のイメージを出すため、中国語の書かれた容器を使っているダケだと思います。

 

4文字熟語のような一句成語を当ててくださいという質問で

回答は「不可思議」

不可思議な質問と不可思議な回答です。 

 

 

 

 

 

 

ボレスワビエツ ・ポーランド有数の陶器の街

ジェロナグラからボレスワビエツへ

ジェロナグラからボレスワビエツまでは、

①鉄道でヴロツワフまで行き乗り換える方法と

②直通バスでボレスワビエツ、

この二つの方法があります。

今回はバスで行く方法を選びました。

理由は安い、早い、しかも乗り換えがないから楽だからです。

駅から100mほどのところにあるバスターミナルからPKS Zierona Goraの近郊バスは出ています。

 

まずは、ターミナルの窓口に行き切符を買うことにしました。

窓口でボレスワビエツと行き先を告げると、コンピューターで調べて発車時間と発車ゲートの番号を書いてくれました。

でも、こちらは切符を買いたいのです。話がまったく通じません。なんで切符を売ってってくれないの?

何かしきりに繰り返しています。

 

仕方がないので、窓口の隙間からポケトークを差し込みここに話してほしいといっても今度は嫌がってポーランド語を吹き込んでくれません。

【公式】POCKETALK_W (ポケトーク) 翻訳機 74言語 ホワイト

仕方がないので彼女の言った言葉をオウム返しに自分で翻訳機に吹き込んだところ

「わかりません」とのこと。

バスターミナルの窓口で切符の値段もわからないし、買えないの?

この回答は想定外でした。

 

ひとまず、並んでバスを待っていたらようやく納得しました。

PKS Zierona Goraのバスはグリーンなのですが、到着したバスは色が白っぽい。

別の会社のバスです。

 

乗り込むときに行き先を告げ、切符を買い、ようやく出発です。

でも、出発時刻がすでに1時間半ほど遅れています。

 

バスは街を出ると少し高速にのり、すぐに一般道を走ります。

ノバ・スルのような鉄道駅や途中の小さな町の中心部に立ち寄り、2時間ほどでボレスワビエツのターミナルへ到着しました。

時間はすでに、午後4時半。

 

ひとまず、休憩も兼ね近くのピザ店に。

相変わらずの大きなピザですが皮が薄いのでちょうどよい量です。

コーラ込みで700円くらい。

ボレスワビエツの旧市街

ボレスワビエツは、城壁に囲まれた城塞都市のようです。看板にはBOLESIAWIEC Castleは13世紀の後半に造られたと書かれています。

人口は4万人ほどですが、旧市庁舎広場は14万人の人口を有するジェロナグラの20倍くらいあります。開放感が全く違います。

ポズナンより広そうです。真ん中に市庁舎、広場の向こうには教会があります。

 

ボレスワビエツの陶器

一番日本でポピュラーなのは受講生からもらったブルーのまるいスタンプ柄です。

でも、実際には様々な模様の陶器が数多く作られています。

ここは陶土にカオリンという高温に耐えうる成分が多く含まれているので、オーブンや電子レンジで使用できるため現代的でスタイリッシュな柄が本来の主流のようです。

 

でも、市庁舎広場には陶器店は1軒しか見当たりません。

観光案内所で聞いたところ、周辺部に工場や販売所があるとのこと。

その、観光案内所の奥にはさまざまな陶器が陳列されています。

自分で絵付けすることもできる体験工房もあるといっていました。

 

観光案内所のパンフレットにはナポレオンに関係したものもありました。

街の城壁のそばには、ナポレオンがこの街まで進撃してきてプロイセンから解放してくれたことを記念する塔もあります。

ポーランド人はフランス人のナポレオンをプロシアやロシアから解放してくれた恩人と考えているようです。

ナポレオンの駐屯を記念する塔です。

文字がキリル文字なので読めませんが、確かライオンはナポレオンの象徴だったように思います。

城壁です。旧市街に沿ってかなりの部分が保存されています。

 

 

 

 

ポーランドのかわいい陶器 ポーリッシュポタリー (COSMIC MOOK)

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中世の街と小さな村めぐり ポーランドへ 最新版 (旅のヒントBOOK)

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ポーランドの窓 ドイツと同じドレーキップ方式です

ポーランドの住宅、アパート、学校 ほとんどの窓はドイツ風の窓。

日本の引き違い窓とは違います。

さすがエコ大国、ヨーロッパ。

気密性の良いドレーキップ方式と呼ばれるものです。

 

開け方は3種類。

左はフルオープンです。

真ん中はしまった状態。完璧に密封し隙間風なんか入る余地もありません。

右は上側だけに隙間があります。普段、通風を得るときはこの状態です。

 

でも、春になるとさわやかな風を家中に入れたいのでしょう。フルオープンに開けた住宅がかなり見受けられます。

 

大学の教室もこの方法。

こんな風に暑い日はフルオープンに窓を開けると2m四方に近い面積を持つ開口部が出現します。この窓が教室に2枚あるので、教室の暑苦しい空気はあっという間に外気と入れ替わります。

ポーランドでは(もちろんドイツでも)普通の窓ですが、

実はこの窓、私の札幌のマンションにも付いています。

寒い札幌でこのドイツ製の気密性の良さをかって、マンションを作った会社が採用したのです。

確かに、気密性も断熱性能も良いようです。デザインも悪くはありません。

 

しかし、この窓がいま私のマンションで大問題。

 

①日本人は「きちんと収まる」べきと考えます。

 取っ手を真下に回して閉め、90度回すと上が開く、更に90度回すとフルオープン。

これが、札幌のマンションの方式です。

ポーランドとは開く順序が違いますが、問題は「きちんと90度」とはならないことです。

パンフレット通りに回すと中の細かい部品が耐えきれずに変形してしまいます。

ですから、「適当に締まるところまで回し、無理をしない」

これがこの窓の使い方のようです。

この適当さが日本人には受けないのかもしれません。

 

②そのためか、窓を作っていた山形県の会社が、せっかくドイツの会社と提携し中国に製造工場を作ったのに、あっと言う間に工場閉鎖し事業撤退をしてしまいました。

 

平成14年にこの会社は新規事業として「ドレーキップの窓事業」を立ち上げ、作ったばかりの新製品の窓を使ったマンションが平成16年に完成。

平成??年にはこの事業から撤退。

 

平成28年に部品が壊れたので発注しようとしたら、事業から撤退しました。

だから、部品がありません、直す方法もわかりません、北海道では直せませんという回答です。

 

 

 

変わり身が速いことは企業にとって大切とはいえ、作って作りっぱなし。

アフターフォローを全く考慮していません。

この窓、方式はいいのですからこの素晴らしい窓を日本に広めていくという

気概を企業に持ってほしかったものです。

 

販売したマンションデベロッパーも

「もう10年たつのでアフターサービス期間及び住宅瑕疵担保責任期間を修了していることから、組付けの調整、メンテナンス体制の提供、部品供給保証等の対応はできません」

という回答。

もう責任がないので、自分たちで何とかしてください、ということのようです。

 

ポーランドでは、普通に使っている窓。

その窓でこんな問題が起きるとは驚きです。

 

ドイツ製品は今でもきちんと輸入されています。

さすが、安心のドイツです。

osmo-edel.jp