ワルシャワ 最後の日(ワルシャワ歴史地区)
明日はワルシャワ・ショパン空港からドーハ経由で日本に帰ります。
そこで、最後にもう一度、ワルシャワの旧市街に向かいました。
このクラクフ郊外通り(KRAKOWSKIE PRZEDMIESCIE)を進むと両側に大統領官邸やワルシャワ大学をはじめ貴重な建物が点在しています。
この通りをまっすぐ進み左に折れると歴史地区の中心です。
1980年ユネスコに「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産登録された所です。
通りの右のほう、だいぶ下がったところにヴィスワ川が流れ、その向こうにスタジアムを望めます。
途中で、写真の屋外展示がありました。
「連帯」の抵抗運動の写真です。
この十字架を背負ったキリストの像を囲む市民の下を盾と警棒を持ちヘルメットをかぶった武装警官が行進している写真、
亡くなったと思われる人の白ペンキの線にろうそくを灯し、座り込む人々、
連帯の文字のポスターのわきで花束を持ち立っている女性。
この国の歴史の重い一コマです。
右側の巨大な建物が王宮です。この正面から左に入った区域が「ワルシャワ歴史地区」と言われる旧市街地です。
第2次世界大戦で壊滅しましたが、市民の修復努力により「復元」されたものです。
壊滅時の写真はこの手前の博物館に展示されていますが、石造りの建物といえども、絨毯爆撃にはひとたまりもなく、東京大空襲の後の東京の中心地と大差ありません。
ほとんど、壊滅状態、瓦礫の山でした。
第一次大戦も第二次大戦も国と国の総力戦です。
その結果が、一般市民を巻き添えにした悲惨な戦いに突き進ませるのでしょう。
でも、市民の住む市街地をここまで破壊する意味があるのでしょうか。
復興した街を見てわかるように、普通の市民が生活をしているだけの場所です。
軍需工場や軍隊の駐屯地があるのではありません。
そこには、普通の市民の暮らしがあるだけです。
この復興した街並みと破壊つくされた街並みを同時並行で見比べて初めてここの「復元文化財」としての意味が解るのかもしれません。
上の写真の突き当りから左に入った「広場」です
周りの建物は土産物店、レストラン、カフェが立ち並び広場の中心はテントが張られ観光客がビールやワインを飲んでいます