金継にチャレンジ 初恋のきた道のシーンから
初恋の来た道という中国映画の1シーンに、器修理のおじいさんが村々を回り壊れた陶器の器を修理するシーンがあります。
その時交わされる会話がこんなセリフです。
これじゃ、直すより買った方が安いよ
金はちゃんと払うよ
先祖代々の椀?
いいや
誰かの形見?
ある人が使ったんだ。
誰だい?
実を言うと娘のためなんだ
使った人が娘の心をもっていった。
椀だけでも残してやりたい。
そういうことなら、しっかり修理しよう。
瀬戸物の修理はいらんかね。
このシーンがなぜか心に残っていました。
歳をとるとお金で買えるものより、自分が古くから使っていたものが大切になります。そんなものが家にもいくつかあります。
例えば、島崎藤村の「夜明け前」の原稿の石碑から転写したもの。
その石碑は信州のどこかの駅のそばにあるらしいのですが、だれかが家内の父親にプレゼントし長く実家の廊下に飾ってものです。
形見分けのような形で今私の家にあるのですが、それを見ると、家内の家の暗い廊下が思い出され、みんなが元気だったころを懐かしく思い出します。
あるいは、陶器のフクスケの貯金箱。
私が幼稚園の頃使っていたものですが、いつの間にか陶器の角が割れてしまっています。角が割れているだけなので、捨てられずになんとか家の片隅にほおってありました。
陶器は今までは、割れたら、使えないので捨てていました。
でも、この映画のシーンを見た時、「直して使う」という発想に立ち返りました。
調べてみると、日本には「金継」という漆を使った修理方法があるとのこと。
札幌でも教室があるそうですが、このコロナで教室もやっていないようです。
さらに、それ以前に最近評判で、新規の生徒を募集していなかったようです。
そこで、本やネット、YouTubeで調べて独学で勉強してみようと思います。
また、ポーランドで美術学校の学生が、パフォーマンスで陶器のカップを割っていました。
相当の数のカップで、割れたカップはそのままゴミとして捨てられたのでしょうが、金継の技術があれば、復元できます。
それをポーランドの学生が美しいと感じるかどうかはわかりませんが、機会があれば、習字、生け花やお茶以外の日本の文化として伝えることができればうれしいとも思っています。