ポーランド西部、ドイツ国境の街ジェロナグラ

ジェロナグラでの日本語教師生活日記、近郊の街、おいしい食べ物

ジェロナグラから南に一時間半。 素敵なホテル&レストラン「Rezydencya Jankow 」の歴史

ジェロナグラからバスでジャガンへ、そこで乗り換えイヲーバの村へ

そこには、19世紀に造られた、素敵な邸宅のホテルがあります。

f:id:takky0116:20190611032102j:plain

「Rezydencya Jankow」の歴史

1848年、ザクセン州からやってきたウィルヘルム ウインクラー‐パウルがこの地に、織物工場を創業しました。

その後19世紀の後半、その息子は鉄道駅の周辺の広大な土地を購入。

当時としては最新鋭の設備を持った機械織物の工場を作りました。

 

さらに、1922年に合弁会社を設立。

1938年にはイヲーバとその近在の村々から、1200人以上の労働者が働くようになります。

第2次世界大戦の前にはすでに、パラシュート用の布や軍服の生地を製造するようになります。

また、各国との貿易にも力をいれ、特にイギリスに対しては、盛んに生地を輸出するようになりました。

 

また、1943年には、ハンブルグから飛行機部品製造工場が移されました。

ここでは、アルミニウムのシートやプロペラ等の軍用飛行機部品が製造されました。

その、金属加工工場では、数多くの捕虜や強制労働者が労働させられていました。

 

さらに、ウインクラーは農園も経営し、花卉類を栽培、ベルリンに輸送するため、自社で飛行機も持っていました。

 

そんな、企業経営者のウインクラーは、1892年自分と家族のために立派な庭園付き別荘を建築します。

それが、今日の「レジデンス ヤンクフ」です。

この建物は当時の最新鋭のテクノロジーを駆使したものでした。

 f:id:takky0116:20190611033715j:plain

例えば、電話交換機を設置し、各部屋に電話回線を巡らせたり、

上下水道施設と同様に、銅管のセントラルヒーティングが、各部屋に張り巡らされています。

素敵な漆喰が壁を飾り、エントランスにはアーチの天井をしつらえ、花飾りの透かし彫り格子が飾られました。

別荘をとりまく庭園には2軒のあずまやもありました。

そのうちの一軒は今も残っています。

1943年にはオフィスにも兼用されましたが、外観には全く影響を与えていません。

 

また、戦後の1948年には園芸学校兼寄宿舎になりましたが、建築デザインや設備機器にも全く影響を与えていません。

お風呂や水回り、台所も、建築当初のままでした。

 

しかし、1974年から1980年の間には、地元民や市の保存に対する無関心のため、荒廃してしまいました。共産主義のもと経済がひっ迫したことも原因かもしれません。

 

1980年に建物は幼稚園に変更するために改装。

 

しかし、1990年、共産党政権が崩壊すると同時に、ウィンクラーの別荘は今の所有者が権利を取得。

2年間かけて徹底的にかつてのすばらしさを取り戻そうとしました。

昔の写真をもとに、窓や暖炉ステンドグラス、壁の漆喰などが再構築されました。

 f:id:takky0116:20190611032231j:plainf:id:takky0116:20190611032321j:plain

完全に、当時の姿を取り戻すことはできませんでしたが、19世紀後半に建てられた、邸宅の面影は十二分に感じ取ることができます。

 

また、別名「レストラン ホテル」と称されるだけあって、ここの料理はジェロナグラのどのレストランよりも素晴らしい味です。

そのうえ、屋外テラスから広々とした庭を見ながらの食事は格別です。

もちろん、値段は一般のレストランと同じです。

 f:id:takky0116:20190611032843j:plain

のんびり、豊かな一日を過ごすのには最適の場所です。

f:id:takky0116:20190611033100j:plain