ポーランド西部、ドイツ国境の街ジェロナグラ

ジェロナグラでの日本語教師生活日記、近郊の街、おいしい食べ物 ポーランドの文化 気がついたこと徒然なるままに。

Challenge 16 Challenge17 Challenge18 Challenge19 Challenge20 ここで「Chapter 1」 をクリアーです

Photonの目と角の色を変えるプログラムを学びます。

①最初にPhotonの色を黄色にします。

②ひとマス進みます

③Photonの色をブルーに変えます

 

ここで「プログラミング」の順序を学習します。

①→②→③

というわけです。

 

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Chapter18では「teleport]という新しい障害が出てきます。

このポイントを通過する前にPhotonの色をポイントが表して色に変えないとスタートにも戻ってしまいます。

これが、これからも、ゲームクリアーするにあたっての大きな障害になります。

つまり事前に「定められた条件を備える」必要があるということになります。

 

ここを進んでいくためには

手前のポイントでPhotonの耳の色を黄色に変えるというステップを順番に組み込まなければなりません。

Photonの2つの角に見えたのは、「耳」のようです。どう見ても角に見えるのですが、修正します。

 

最後のChallenge20では「teleport」が2つ存在します。

これをクリアーすれば次のChapter2に進みます。

 

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ChapterとChapterの間やChapterの各所にストーリーを紙芝居風に描いてあるミニコントがあります。

ここは、子供たちにそれぞれ自分で考えたお話を話してもらっても面白いでしょう。

 

 

Chapter 2 Challenge1

Challenge1では「斜めに進むこと」を学びます。

画面出た指示に従って斜めにタブレットの小道に斜めに指で線を引き、ゴールを目指します。

Challenge2からは、ステップの数が指定されその数(最短値)でクリアーする必要があります。

 

Challenge4では、また「ゲーム」です。

今度はモンスターに熟れた美味しいフルーツを食べさせてあげなくてはなりません。

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親日的なポーランド国民

ポーランド国民は伝統的に親日的ですが、

それにはいくつかの理由が考えられます。

日露戦争の勝利

まず、日露戦争で日本が、当時「ポーランドを支配していたロシア」をやぶったことが挙げられます。

日露戦争は1904年2月8日に始まり1905年9月5日に終わりました。ポーツマス条約で、朝鮮における優越権、旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道に関する諸権利、南樺太を得た日本の大勝利と言われています。

確かに、旅順攻撃、奉天会戦日本海海戦でことごとくロシアを打ち破った日本です。

18世紀に3度にわたりロシア帝国オーストリアプロイセンの3国に領土を奪われ消滅したポーランドは、3国の中でもロシアに対する対抗心が一番強いように思いました。

第2次世界大戦ではドイツの侵攻により戦争が勃発しましたが、たった1か月の短期間にポーランドが滅びたのは、ドイツの侵攻のすぐあと、東からソ連が攻め入った為です。

2方面から挟み撃ちにされたら勝ち目はありません。

そして、もっと以前からもポーランドとロシアは同じスラブ民族ですが敵対していました。

そんなロシアを東洋の小国、日本が一泡吹かせたというわけです。

ちょうど、ロシアを挟んだ隣国のポーランドと日本。

そんなところに、親近感がわいたのでしょう。

1795年に消滅したポーランドはロシアの実質支配に置かれたポーランド立憲王国の時代をへて独立するのは第1次世界大戦後の1918年です。123年もの間、ロシアの支配下にいました。

ちょうど、ポーランドでも独立の機運の高まっていたところに、日本の勝利の報がもたらされたわけです。

 

 

㈡シベリア出兵の頃のポーランド孤児救出劇

また、1920年から22年に、日本政府や赤十字社が協力してロシア革命後のシベリアで、親を亡くしたポーランド人孤児を救い本国へ送還してあげた話は有名です。

当時、シベリアには15万人から20万人ものポーランド人がいました。

1918年に独立したポーランドですが、シベリアには19世紀から20世紀初めにかけてロシアによって流刑にされたポーランド人の家族が劣悪な環境下で暮らしていました。

1918年に「シベリア出兵」をした日本は、アメリカなどが撤退した後もシベリアに兵を駐留させていました。

当時ソ連に対抗できる唯一の勢力であった日本は、シベリアにいたポーランド孤児を日本経由で祖国に帰すことができました。

 

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ユダヤ人救出

第2次世界大戦中、リトアニアの日本国領事代理の杉原千畝が、ポーランドリトアニアから来たユダヤ人のためにビザを発行して、旧ソ連、日本を経由して彼らを逃したこともポーランド人の心をとらえました。

 

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こんな史実がポーランドでは現代にいたるまで語り継がれています。

 

贈り物(1) ポーランドのお酒

ポーランドから贈り物をいただきました。

手作りのお酒です。

いろいろな果実酒、薬草酒、自家製ワインまであります。

たぶん、日本と法律が違うのでしょう。

日本で、焼酎に梅酒をつくる感じで「ぶどう」を漬け込んだら酒税法違反になりますし、もちろん免許がなければ自家製でも「ワイン」は作れません。

 

ただ、ポーランドから持ち込むにも輸入通関で「酒税」が掛かるためFedExとの連携が必要でした。

自家製の為、アルコールの度数と分量が解らないので確認してほしいとのこと。

 

VODKAベースで日本ホワイトリカーと呼ばれる焼酎は35度程度ですが、なんと35度から88度のVODKAを使っているとのこと。

 

また、珍しい蜂蜜を発酵した「はちみつ酒」もいただきました。

 

これらのお酒の度数を確認して、若干の酒税を払わなければならなかったのですが、額が少額であった為FedExで払ってくれました。

 

 NALEWKA

ARONIA VODKA 2014

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2014とあるので、2014年製造のお酒でしょう。

飲んだらこれが一番アルコール度数が高そうでした。

ただ、7年間も熟成してあるので味も一番まろやかで芳醇な香りです。

一番のお気に入り。

NALEWKAはチンキのこと。ハーブをアルコールにつけて成分を抽出したもので高アルコール度なので保存もきくようです。

 

Ziolowa

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このziolowaもハーブの事です。

つまりこれもハーブ酒。

どんなハーブを使っているかは秘密のようです。

それぞれで独自のレシピがあるのでしょう。

これが一番薬草酒っぽい味でした。

お屠蘇の薬草をウオッカにつけたようなものです。

健康には一番良いのかもしてません。

 

NALEWA CZERWONA PORZECZKA

RED CURRANT VODKA  

 

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赤い実をつけた薬草酒です。

ポーランドでは、いろいろな果実をウオッカにつけて果実酒を楽しんでいるようです。

 

 

 

MEAD TRIJNIAK

蜂蜜1:水2の割合で発酵させ熟成した「はちみつ酒」アルコール度は13%くらい。ポーランドではワインより人気です。もともとは、木のくぼみに溜まって自然発酵した蜂蜜酒を原始人が発見したという話があるほど、古くからの歴史を持つ飲み物です。 

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 帰国時に生徒から3種の「はちみつ酒」をいただいたのですが、こちらは自家製です。

蜂蜜を発酵させてアルコールを作るのですから技術と経験がかなりいると思うのですが、こんなものも各家庭でつくるようです。

酒税法に縛られた日本には失われた文化ですね。

 

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PLUM VODKA

 

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この味が一番飲み慣れています。

ウオッカでつくった梅酒です。

勿論、日本のリカーベースよりアルコール度が高い上、

砂糖をあまり使っていないので、パンチが効いています。

 

 

 

WINO WINOGRONOWE

GRAPE WINE

 

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 こちらも自家製ワイン。

たぶんブドウを買ってきてつくるのか、もしかしたら農園でも持っていて

自分の庭にできたブドウから作っているのかもしれません。

瓶はポーランドで良く見かけるビールの瓶です。

ポーランドにいた時はこのビールをよく飲んでいました。

そして空き瓶は冷蔵庫にいれて水を冷やすのに重宝したものです。

 

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オオカミ犬 日本でも飼っている人がいるようですが、ポーランドでは良く見かけました。

ポーランドでは、「一軒家に」住んでいる人はかなりの確率で犬を飼っています。

近郊の集落ではほとんどの家に犬がいるようです。

そして、犬を飼っている家の門には日本でいう「猛犬注意」の黄色のプレートが必ず掲げられています。

そんな家は、家じゅうを2~3メートルのスチ-ルのフェンスで囲み、門もがっちりした鉄枠で作られています。

そんな家の前を歩いていたらと、芝生の庭の奥から大型の犬が猛ダッシュで飛び出してきてフェンス越しに襲い掛かってきました。

フェンスがあるから安心なのですが、日本の「猛犬」とはけた違いのどう猛さです。

体長1mくらいもあるでしょうか。

後ろ足で立ち上がり、前足をフェンスに掛けて吠えてくると、飛びつくせいもありますが、ほぼ私の身長くらいの雰囲気になります。

本当の猛犬です。

日本ではあまり見かけない犬種で日本で見かける大型犬の「ゴールデン・レトリバー」や「シベリアン・ハスキー」「セントバーナード」「ジャーマン・シェパード」とは違います。

もっと、野性味のある犬です。

 

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これは、円山動物園にいる本物のオオカミです。長く檻の中にいるためか、野生の精気は失われているようですが、いざとなったらわかりません。

 

 

昨日、テレビを見ていたら千葉県南房総市の民家から「オオカミ犬」が逃げたとか。

その犬を見てわかりました。

ポーランドで良く見かけた犬は「オオカミ犬」です。

 

こんな犬がいるなんて知りませんでした。日本には野生のオオカミは絶滅してしまったのですが、ヨーロッパにはまだまだたくさんのオオカミが生息しているので、犬と掛け合わせすることもできるのでしょう。

 

オオカミと犬を掛け合わせたオオカミ犬は、野生の血が混じっているので、非常に警戒心が強く、ポーランドでは番犬として重宝されているようです。

たしかに、この犬なら、泥棒になんて入れるはずがありません。

強い警戒心と高い運動能力、防衛能力で敵を追い払うでしょう。

 

もちろん、ポーランドでバスに乗り込んでくる大型犬は見るからにおとなしい雰囲気を持つ犬種です。

それでも、くちわをはめていて絶対人を襲うことなんて考えられません。

そんな犬が、バスの真ん中のフロアーにべったり寝そべっているのをよく見かけました。

私は、チワワを買っていますが、チワワのような小型犬はポーランドではあまり好まれないのか、まったくと言っていいほど見かけませんでした。

犬の好みにも「お国柄」あるのでしょう。

 

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怖い顔をしてもこの程度です

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クラクフの織物会館

16世紀に作られた建物です。

ちょうどクラクフの中央広場の真ん中に構えています。

昔は織物の取引所だったようですが、今は一階はポーランド各地のお土産物産店がひしめいています。

観光用の白い馬車は、ここを起点に広場を周回しているようです。

ちょうどクリスマスなので、市場の手前には、いろいろな店が出店していました。

クラクフポーランド第二の都市で、ワルシャワの南方240㎞に位置し同じヴィスワ河畔の街です。

14世紀初期から1596年までポーランドの首都で、また第2次世界大戦のときにはドイツ軍が占領していて、あまり戦災の被害を受けませんでした。

ですから今でも中世の雰囲気の残った素敵な街です。

 

この、中央広場からすこし進むとポーランド最古の大学のヤギェウォ大学もあり、世界中から留学生が集まっています。

観光地でさらにクリスマスのこの時期、この広場には韓国人や日本人の留学生や観光客があちらこちらに見受けられました。

 

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奥の建物、ちょうど広場の中心に織物会館はあります。

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 聖マリア教会の祭壇

 

ポーランドの古民家公園(民族誌学博物館)zielonagora-Ochla

ジェロナグラの南方のOchlaという村にある民族誌学博物館です。

バスで40分ほど、乗り換えはいりません。

ただ、もともとは別の村(Ochla)なので市内定期カードでは乗り越し乗車になってしまうかもしれません。

また、土曜日と日曜日にはバスの本数が減ってしまうので一日がかりになってしまいます。

平日でもバスの本数は少ないので、バス停をおりて公園に向かう前に反対側にある停留所で帰りのバスの時間を確認しました。

なかは、オープンスペースの広い公園です。

公園の中に、この地方の古民家が点在しています。

たぶん、18世紀から19世紀にこの地方にあった農家を保存のために集めたのでしょう。

一番古い建物は1675に作られた木造コテージとのことです。

 

バス停を降りると目の前に入り口があり、左側にはレストランがあります。

砂利道を進むと奥の方にたくさんの古民家が点在しています。

釣りのできる小さな池も、竿を貸してくれるようなのでこの池は釣り堀のようです。

メインセンターと思われる建物のわきにはポニーの引く馬車の待機所も。

 

ここでチケットを買うようですが、

チケットの値段は夏場は10ズウォテイ(約300円)、冬場は8ズウォテイ(240円)

でも、特にゲートがあるわけでもなく、また、65歳以上は無料とのことなので、自由に中を歩き回ってきました。

 

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数多くの建物がありますが、構造は似たようなものです。

大屋根の2階建てでちょうど家の真ん中に暖炉と煮炊きをする釜戸の兼用のようなものがあり、一階は台所と食堂と作業場になっているようです。

日本の古民家と同じで天井はかなり低くなっていました。

暖房効率はいいかもしれませんが、ヨーロッパ人には少し狭苦しいかもしれません。

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 ポーランドで感心するのは、サイクリングロードが充実していることです。

この街道に沿っても、街はずれの高校があるあたりから、街道に沿って専用サイクリング道路と歩道が車道と並行して走っています。

バスで、30分以上になりますからかなりの距離です。

車道とサイクリング道は平行していますがその間には適度な樹木が植えられていて、排気ガスも気になりません。

そして、100メートルおきくらいにきれいなベンチも設置されていて、老人が散歩していたり、赤ちゃんを乳母車にのせた若い夫婦も散策をしています。

サイクリング道と歩道は同じ道ですが、ラインで厳格に仕切られているので歩行者も安心です。

 

札幌にも白石近辺から大谷地に向かってサイクリング道があります。でも、200万都市でもその一本くらい。

他を見ると、町中も街道筋も、歩行者、自転車、駐車中の車が雑多に込み合い車道も歩道も自転車で走るのには危険すら感じます。

 

車道の自転車用のレーンもはば1mくらいで排水溝の蓋があったりで安全にサイクリングを楽しめる状態にはありません。

この辺の、社会資本への投資の違いを考えさせられます。

 

日本の地方都市にも住んでいる人がゆったりとできる環境をつくってもらえれば嬉しいのですが。