オオカミ犬 日本でも飼っている人がいるようですが、ポーランドでは良く見かけました。
ポーランドでは、「一軒家に」住んでいる人はかなりの確率で犬を飼っています。
近郊の集落ではほとんどの家に犬がいるようです。
そして、犬を飼っている家の門には日本でいう「猛犬注意」の黄色のプレートが必ず掲げられています。
そんな家は、家じゅうを2~3メートルのスチ-ルのフェンスで囲み、門もがっちりした鉄枠で作られています。
そんな家の前を歩いていたらと、芝生の庭の奥から大型の犬が猛ダッシュで飛び出してきてフェンス越しに襲い掛かってきました。
フェンスがあるから安心なのですが、日本の「猛犬」とはけた違いのどう猛さです。
体長1mくらいもあるでしょうか。
後ろ足で立ち上がり、前足をフェンスに掛けて吠えてくると、飛びつくせいもありますが、ほぼ私の身長くらいの雰囲気になります。
本当の猛犬です。
日本ではあまり見かけない犬種で日本で見かける大型犬の「ゴールデン・レトリバー」や「シベリアン・ハスキー」「セントバーナード」「ジャーマン・シェパード」とは違います。
もっと、野性味のある犬です。
これは、円山動物園にいる本物のオオカミです。長く檻の中にいるためか、野生の精気は失われているようですが、いざとなったらわかりません。
昨日、テレビを見ていたら千葉県南房総市の民家から「オオカミ犬」が逃げたとか。
その犬を見てわかりました。
ポーランドで良く見かけた犬は「オオカミ犬」です。
こんな犬がいるなんて知りませんでした。日本には野生のオオカミは絶滅してしまったのですが、ヨーロッパにはまだまだたくさんのオオカミが生息しているので、犬と掛け合わせすることもできるのでしょう。
オオカミと犬を掛け合わせたオオカミ犬は、野生の血が混じっているので、非常に警戒心が強く、ポーランドでは番犬として重宝されているようです。
たしかに、この犬なら、泥棒になんて入れるはずがありません。
強い警戒心と高い運動能力、防衛能力で敵を追い払うでしょう。
もちろん、ポーランドでバスに乗り込んでくる大型犬は見るからにおとなしい雰囲気を持つ犬種です。
それでも、くちわをはめていて絶対人を襲うことなんて考えられません。
そんな犬が、バスの真ん中のフロアーにべったり寝そべっているのをよく見かけました。
私は、チワワを買っていますが、チワワのような小型犬はポーランドではあまり好まれないのか、まったくと言っていいほど見かけませんでした。
犬の好みにも「お国柄」あるのでしょう。
怖い顔をしてもこの程度です
クラクフの織物会館
16世紀に作られた建物です。
ちょうどクラクフの中央広場の真ん中に構えています。
昔は織物の取引所だったようですが、今は一階はポーランド各地のお土産物産店がひしめいています。
観光用の白い馬車は、ここを起点に広場を周回しているようです。
ちょうどクリスマスなので、市場の手前には、いろいろな店が出店していました。
クラクフはポーランド第二の都市で、ワルシャワの南方240㎞に位置し同じヴィスワ河畔の街です。
14世紀初期から1596年までポーランドの首都で、また第2次世界大戦のときにはドイツ軍が占領していて、あまり戦災の被害を受けませんでした。
ですから今でも中世の雰囲気の残った素敵な街です。
この、中央広場からすこし進むとポーランド最古の大学のヤギェウォ大学もあり、世界中から留学生が集まっています。
観光地でさらにクリスマスのこの時期、この広場には韓国人や日本人の留学生や観光客があちらこちらに見受けられました。
奥の建物、ちょうど広場の中心に織物会館はあります。
聖マリア教会の祭壇
ポーランドの古民家公園(民族誌学博物館)zielonagora-Ochla
ジェロナグラの南方のOchlaという村にある民族誌学博物館です。
バスで40分ほど、乗り換えはいりません。
ただ、もともとは別の村(Ochla)なので市内定期カードでは乗り越し乗車になってしまうかもしれません。
また、土曜日と日曜日にはバスの本数が減ってしまうので一日がかりになってしまいます。
平日でもバスの本数は少ないので、バス停をおりて公園に向かう前に反対側にある停留所で帰りのバスの時間を確認しました。
なかは、オープンスペースの広い公園です。
公園の中に、この地方の古民家が点在しています。
たぶん、18世紀から19世紀にこの地方にあった農家を保存のために集めたのでしょう。
一番古い建物は1675に作られた木造コテージとのことです。
バス停を降りると目の前に入り口があり、左側にはレストランがあります。
砂利道を進むと奥の方にたくさんの古民家が点在しています。
釣りのできる小さな池も、竿を貸してくれるようなのでこの池は釣り堀のようです。
メインセンターと思われる建物のわきにはポニーの引く馬車の待機所も。
ここでチケットを買うようですが、
チケットの値段は夏場は10ズウォテイ(約300円)、冬場は8ズウォテイ(240円)
でも、特にゲートがあるわけでもなく、また、65歳以上は無料とのことなので、自由に中を歩き回ってきました。
数多くの建物がありますが、構造は似たようなものです。
大屋根の2階建てでちょうど家の真ん中に暖炉と煮炊きをする釜戸の兼用のようなものがあり、一階は台所と食堂と作業場になっているようです。
日本の古民家と同じで天井はかなり低くなっていました。
暖房効率はいいかもしれませんが、ヨーロッパ人には少し狭苦しいかもしれません。
ポーランドで感心するのは、サイクリングロードが充実していることです。
この街道に沿っても、街はずれの高校があるあたりから、街道に沿って専用サイクリング道路と歩道が車道と並行して走っています。
バスで、30分以上になりますからかなりの距離です。
車道とサイクリング道は平行していますがその間には適度な樹木が植えられていて、排気ガスも気になりません。
そして、100メートルおきくらいにきれいなベンチも設置されていて、老人が散歩していたり、赤ちゃんを乳母車にのせた若い夫婦も散策をしています。
サイクリング道と歩道は同じ道ですが、ラインで厳格に仕切られているので歩行者も安心です。
札幌にも白石近辺から大谷地に向かってサイクリング道があります。でも、200万都市でもその一本くらい。
他を見ると、町中も街道筋も、歩行者、自転車、駐車中の車が雑多に込み合い車道も歩道も自転車で走るのには危険すら感じます。
車道の自転車用のレーンもはば1mくらいで排水溝の蓋があったりで安全にサイクリングを楽しめる状態にはありません。
この辺の、社会資本への投資の違いを考えさせられます。
日本の地方都市にも住んでいる人がゆったりとできる環境をつくってもらえれば嬉しいのですが。
コンポート 学食の定番の飲み物です
学食の定番の飲み物はコンポートと呼ばれる、赤くて薄いジュースです。
スープとコンポートは定食メニューに必ずついてきます。
このきれいな色をした栄養たっぷりのコンポートは、
イチゴや木の実を砂糖で煮た薄い薄いジュースのようなものです。
本当は食後のコーヒーなんかがセットでついてくれば良いのですが、学食では
コーヒーを飲んでいる人姿はありません。
また、メニューにもそれらしきものは載っていませんでした。
多分、学生寮の中の学食なので、コーヒーなんかは自室でという感覚なのかもしれません。
これが基本のセットです。
コンポートとスープそれに一皿。
スープは日替わりなので飽きません。
ジャガイモか、お米か(たまにそばの実)は注文時に選べます。
サラダも3種あって取り合わせは自由です。
これで最初の頃は12ズォティ=360円くらい、後期には少し値上がりして400円くらいなので、コストパフォーマンスは抜群です。
できればパンが欲しいところですが、ジャガイモがパンのかわりです。
珈琲が無いように、パンも一切学食にはおいていません。
でんぷん質は、ジャガイモか、そばの実、お米から摂取するようです。
さっぱりとしたパンやお米がないので、ちょっと味が濃いのが難点でしょうか。
ただ、このメニューの表を読み込んで、会計で注文するのですが、全くポーランド語が読めないので、どうも英語読みでは通じないようでした。
kotletは良いのですがそれに続くソースや付け合わせの種類で分かれているので、kotoletだけではわからないと言われてしまいます。
あやふやな、自信のない記憶では、メニューボードの前で覚えたつもりでも会計の順番待ちをしているうちに忘れてしまいます。
ポーランド語は英語と違い、発音はスペルに準拠しているようなので、基本の読み方くらいは勉強してくればよかったと少し後悔しました。
下は、カマンベールチーズを丸々一つ揚げたものです。
チーズが美味しく安いので、これも絶品でした。
カマンベールチーズは食べますが、せいぜいビールやワインのつまみくらいで、こんな風に丸々一つを挙げたものは初めてで、なかなか味も絶品でした。
これこそ、ビールでもあれば最高なのですが、いかんせん「学食」なので。
2つの世界大戦の間で ポーランドの 独立記念日(11月11日)
18世紀にポーランドは「ロシア」「プロイセン」「オーストリア」の強大国に領土を奪われていきました。1772年、1793年、1795年の3度にわたる分割でポーランド王国は消滅し、世界地図の上から消えてしまいました。
その後
第一次世界大戦のさなかの1917年、ロシアでは革命が起き、またドイツとオーストリアが第一次世界大戦に敗れたため、これらの国の支配からのがれたポーランドは一九一八年に念願の独立を果たしました。
その時の国家主席が「ピウスツキ」
彼と弟は独立前にロシアに捉えられシベリアに送られたのですが、弟はサハリンを経て北海道に上陸。
アイヌ人と結婚して、今、日本には彼の孫が住んでいます。
そんなことから北海道に縁があり札幌には「北海道ポーランド文化協会」も設立されています。
札幌は、日本の中で最も文化的にポーランドにつながりの深い街と言われています。
11月11日
1918年のこの日、ポーランド共和国が独立しました。
社会主義時代には記念日としては廃止されていた(ロシアからの独立のため)が、民主化後復活した。2018年はちょうどポーランド独立の100周年にあたります。
通常の年であれば、大学は休校ではないとのことでしたが、2018年11月11日は大学は休校。
校舎に鍵が掛かっていて、事務局の入っているビルも誰もいませんでした。
結局この日は教室に入れないので、日本語教室は休講としました。
ジェロナグラのPOLPORAというブランドの時計です。
独立100年を記念して発売されました。
1918年の年号がデザインになっていて、
ポーランド国旗の赤と白もさりげなくデザイン化されています。
国旗は上が白、下が赤の紅白旗。
13世紀ごろから白いワシと赤い盾がポーランド王国のシンボルでしたが、1918年の独立の時にその白と赤がポーランドの国旗に採用されました。
国歌
ポーランドの国歌は「ドンブロフスキのマズルカ」この歌は大事ぽーらんどぶんかつによって共和国がすべての領土を失った時ドンブロフスキ将軍の率いる亡命ポーランド人部隊の軍歌として書かれたものが第一次世界大戦後にポーランド国歌として定着したものです。
mazurkaはポロネーズと並ぶポーランドの代表的民族舞踊ですが、ポロネーズがテンポがゆったりとして優雅なのに対しマズルカは旋回の激しい舞曲です。
このCDもポーランドの独立100周年を記念して発売されたものです。
ジャウキ(家庭菜園)ポーランド
「ジャウキ」はポーランドの家庭菜園です。
ドイツの「der kleingarten」 「Schrebergarten」と同じ市民向けの賃貸農園です。
日本の賃貸農園は一般的に数年単位の賃貸のようですが、ポーランドでは果樹が植えられているところからみて、長期賃貸のようです。
広さは100坪くらいでしょうか。
フェンスでがっちりと4周を囲まれ出入り口には鍵が掛かっていました。
畑のすみにある小屋には農作道具なんかがしまってあるのでしょう。
少し大きめの小屋は小さなコテージかもしれません。
まだ冬なので何も植えられていませんが、春になれば、ここに野菜や花などを植えて、果樹にも実がなることでしょう。
家庭で食べる分くらいならこの「ジャウキ」の収穫で間に合いそうです。
日本でも農家の高齢化のすすむ時代です。
東京近郊などでも、農家の畑をきちんと区分けし都会のマンションや一戸建てに住んでいて普段土いじりをすることのない市民に、貸し出せばよいのにと思います。
個人で賃貸契約を結んで管理していくのは大変なので、ドイツのようにもっと法の整備をし、きちんとした団体を設立したうえで運営していけばもっと底辺が拡大するでしょう。
都会で働く人のストレス解消法としてこんな「ジャウキ」は最適です。
まあ、100坪もあると、高温多湿の日本では雑草の管理に追われ逆にストレスになりそうですが。
ジャガイモの形をした国 ポーランド
「ポーランド」という国名は英語読みです。
ポーランド語では「ポルスカ」。
これは、「畠」や「森の中の草地」を意味する言葉からきています。
国土の90%以上が平野のポーランドは文字通り森と平原の国です。
森に囲まれた麦畑
牧草地
鉄道で国内を旅行しているとどこまで行っても同じような風景が続きます。
車窓から見えるのは、広い農地、なだらかな丘、森林のいずれかで、ときどき町や村の建物が目に入ってきます。
その建物の中には、教会の尖塔がひときわ高くそびえています。
ポーランドは東西・南北にそれぞれ600㎞~700㎞。
正方形近い形で、見方によってはジャガイモのようです。
面積は31万平方キロメートル。
日本が378千平方キロメートルなので日本の面積の約80%くらいです。
また、人口は3797万人(2019年)、日本1億2615万人。
日本の約30%くらい。
これは、ちょうど日本の65歳以上の高齢者の人口と同じくらいです。
島国で平野部の少ない日本に比べると、広大な平原に日本の30%くらいの人口の人が住んでいるので、街と街の間隔も緩やかで、とても牧歌的な雰囲気の漂う国です。