オルガ・トカルチュク ポーランドのノーベル文学賞受賞作家(2018年)ジェロナ・グラ近郊スレフフの出身
オルガ・トカルチュク
オルガ・トカルチュクは1962年にポーランドの西部、ドイツ国境にほど近いルブシュ県スレフフに生まれました。
主な作品は
「昼の家、夜の家」(2010)
「逃亡派」(2014) ポーランドで最も権威のある「ニケ賞」
マン・ブッカー国際賞(ポーランド小説として初めて)
「プラヴィエクとそのほかの時代」(2019)
「迷子の魂」(2020)
以上4作品が日本語訳にて刊行されています。
また、2014年に出版された大作「ヤクプの書物」はユダヤ人宗教指導者ヤクプ・フランクとその時代を扱い、ポーランドが歴史上、抑圧の犠牲者であっただけではなく、時に他の民族を抑圧してきたことを公然と指摘している。
この本はまだ未邦訳ですが、日本語訳の刊行が期待されます。
スレフフ(sulechów)の街
ルブシュ県ジェロナ・グラ郡スレフフ。
ジェロナ・グラの北方16㎞くらいに位置する人口1.7万人ほどの小さな街です。
ジェロナ・グラから北に向かい途中のザバダ(zawada)までは市内バスがあるのですが、ザバダでバス路線は直角に東に向きを変えヤニ→プシトク→ミルスコとオーデル川の渡船場に向かってしまいます。
たぶん、ジェロナ・グラからは郊外バスが通っているのでしょう。
ザバダからまっすぐに北上するとオドラ川に架かる橋があり、蘇の橋を渡ればスレフフの街です。
ポーランドの街は小さくてもなかなかに見どころのある街が多く目的もなく散策していても楽しいのですが、この街もナポレオン戦争後の1815年からプロイセン王国のブランデンブルグ州に属していたので、ドイツの香りのする街だと思います。
そんな街でノーベル文学賞作家のオルガ・トカルチュクは生まれたのです。
その他の有名人には、ゲーテの「親和力」に登場するオティーリエのモデルとなった女性もいるそうです。
たった40分のバス旅行ならいくらでも行けたのに、当時は全く知りませんでした。
ちょうど、ジェロナ・グラに滞在していた2019年にノーベル賞をもらったのでタイミングが悪かったとも言えるでしょう。
ジェロナ・グラを訪問することがあればぜひ足を延ばしてみてください。
郊外バスの行き先表示板ですがこの中には残念ながら、スレフフ行きのバスは見つかりません
コロナワクチン接種 ポーランドの状況(2021.05.09)
ポーランドのジェロナグラの高校生から聞いた話です。
コロナワクチンの接種は5月に父親と母親は2回完了。
自分は(18歳)1回終えたところだそうです。
ポルトガルに住んでいるおじいさん(74歳)もすでに2回完了。
(ポーランドの接種率8.71 ポルトガルの接種率9.16 日本の接種率0.88)
明日から、高校の卒業の最後の試験ですが、終わったら大学入学までのバカンスの期間には2回ポルトガルに遊びに行くんだと張り切っています。
ポーランドは昨年後半から感染者が急増し、相当の感染者も出て、死者もかなりの数でした。
つい最近のイースターの頃も、いとこの誕生日に親戚一同が集まってお祝いするんだけど、おばあさんはCOVID19の感染が怖いので行かないと言っていました。
でも、ワクチン接種をしたことで雰囲気がガラッと変わりました。
ワクチンの予約もAPPで時間、場所を指定しさらに「ワクチンメーカー」も簡単に指定できるようです。
ファイザー・アストラゼネカ・モデルナ・J&Jとある中で彼女の家族はファイザーを選んだとのこと。
お母さんだけが2回目の接種で39度近くまで熱が上がって2,3日大変だったとも言っていました。
こんなポーランドの状態と今、自分の置かれている札幌の状態。
比べてみて札幌(北海道)の対応の稚拙さは明らかです。
5月9日、「まん延防止」が何故今頃になってというスローペースで発令された中、ブラックジョークのように北海道および札幌で感染者数が爆発的な増大を示しました。
何と北海道で506人、札幌で327人。
どちらも過去最多最悪の感染者数です。
西村大臣が、北海道に緊急事態宣言を出さない理由を北海道は広いからと薄ら笑いを浮かべながら説明していましたが、「高速道路は車よりクマの方が多い」とかつて言われた北海道の札幌市以外の地域でも感染者が179人も出ています。
それも各振興局に満遍なく。
明らかに感染は全北海道に拡大しました。
それでも北海道の鈴木知事は「新しい旅のスタイル」という地域GO TOを継続する為頑として「緊急事態宣言」を出すつもりはありません。
ワクチン接種については、札幌市では、現在接種券を印刷しているとの遅れようです。
さらに秋元市長の話では接種は「75歳以上」の人が6月末までに。
それ以降にようやく65歳以上の人に順番が回ってくるようです。
政府は7月末までに65歳以上の国民全員にワクチン接種を2回終えると公言しているので68歳の私は、7月月初めに第1回、7月末に第2回くらいのペースになるのでしょう。
また、今接種予約を受け付けようとしている全国各地の自治体では、「電話がつながらない」「インターネットがつながらない」などのトラブルが頻繁に発生しています。
接種該当人数の数倍、十数倍のアクセスが集中する状態は、明らかに政府に対する不信感の表れでしょう。
家族総出で電話やパソコンに何時間もしがみ付いてアクセスしなければ予約が取れないなんて先進国とは言えません。
また、これはITに対する日本の技術の遅れの表れかもしれません。
このITに対する脆弱さも、プログラミング教育でも明らかに世界に後れを取っている日本のITレベルの低さを露呈させたものでしょう。
ワクチンの事でポーランドと情報交換することでいろいろな問題を認識させられました。
福田会 なぜ、ポーランドは親日国なのか? 一つの史実
社会福祉法人 福田会は、ポーランドと歴史的なつながりを持っています。
第1次世界大戦後(1920年)シベリアで孤児となっていたポーランドの子供たち375名が日本赤十字社の援助のもと、敦賀港経由で来日。
東京の福田会(ふくでんかい)に逗留しました。
そして、健康を回復したのち、無事ポーランドへと帰還しました。
この史実はポーランドでは良く知られていましたが、日本では長い歴史の中に埋もれてしまっていました。
2009年、当時の駐日ポーランド大使がたまたま福田会の前を通りかかり、それをきっかけにポーランドとの交流が始まったそうです。
2020年、100年を記念しポーランド・フェスティバル2020
の「シベリア孤児来日100周年記念企画」で番組を視聴したところ、
福田会から記念ピンバッジが送られてきました。
このピンバッジはポーランドで発行された「福田会ー希望の家」と記載された記念切手のデザインを使用しています。
100rocznica prezybycia polskich dzieci syberyjskich do Jaoinii
100周年 ポーランドのシベリアの子供たちの日本への到着
Fukudenkai-Dom Nadziei
福田会ー希望の家
真ん中に日の丸と鶴があしらってあります。
また、孤児たちはシベリアから「哈爾濱(ハルピン)」経由でウラジオストックから敦賀港に着いたそうです。
哈爾濱はロシア人の作った街と言われていますが、そのころポーランドという国はロシアに併合され存在しませんでした。
独立は1918年の事。
もしかしたら、哈爾濱を作ったのはポーランド系ロシア人だったのかもしれません。
哈爾濱には今でも「ユダヤ人」の痕跡が多数残っています。
ユダヤ人の建築した音楽ホール
今でも哈爾濱の音楽学校を中心にコンサートが開かれています。
ユダヤ人の集会場
当時の写真がいろいろと掲示されています
手すりには「ユダヤの星」
イースター(Happy easter)
ポーランドから送られてきた「EASTER CARD」です。
˛平和な休日(Spokoizch świąt)
イースター(wielkanocnych)と書かれています。
イースターはカトリック信者の間では最も大切な祝日の一つです。
毎年春分のあとの最初の満月の次の日曜日(つまり毎年決まった日ではありません)
この日に十字架にかけられたイエス・キリストが3日目に復活したことを祈念してお祝いする日です。
カードには可愛いウサギとピサンキ(イースター・エッグ)が載っています。
でも、イースターやピサンギの歴史はキリスト教の伝来より古いようです。
もともと、イースターはキリスト教以前の時代から祭られておりヨーロッパの様々な文化の中で、春には卵を染め、自然が冬眠から目覚めるのを祝っていたものです。
確かに、夏と冬の日照時間の差の大きな北ヨーロッパでは春分の頃から日に日に日照時間が延び、冬が終わり春が訪れたのを実感できます。
卵は新しい命のシンボルであり、卵に太陽や植物のモチーフなど自然の豊穣を連想させる装飾が施し、みんなで春の訪れを祝う。
こんな祝祭が営まれるのも肌身で感じられます。
イースターにはバスケットの中にいろいろな食べ物を入れて教会にもっていき「お清め」を受けます。
私のアパートの向かいにあった教会にもたくさんの信者がこの日は手にレースの白い布を掛けたバスケットを持って、家族総出で教会に集まり姿が見られました。
バスケットの中は、白いレースがかけられているのでわかりませんでしたが、
Biancaさんから送られてきた写真をみると
色を付けた卵や耳をつけてウサギのようにした卵(ピサンキ)それに、パンやソーセージのような食材も入っているようです。
イースターの食卓にはビャワ・キウバサ(biała kiełbasa)--白いソーセージがつきもののようです。
白ソーセージは茹でて食べるのが一般的で普段からも良く食べられています。
グリーンの屋根の建物は臨時の販売店舗でイースターの時に飾る藁で作った鶏やウサギの人形、様々な花束、ブーケなどの飾り物、もちろんイースターエッグも売られています。
また、ポーランドは蜂蜜が名産。様々な花からとった蜂蜜も手軽に手に入れることができます。
ライ麦パンも、パン屋さんではなく近郊の農家の人が売りに来ています。
長さ60cmくらいで1本ですが、1人では食べきれないので半分に切って売ってもらいました。
ずっしりと重くかなり酸味の強いパンです。
(東京)羽田空港から)(札幌)新千歳空港まで(2021/4/7)
東京は緊急事態宣言開けとはいえ、まだまだコロナの感染者が高止まり。
また、札幌も不要不急の外出自粛のなか、館山から東京経由で札幌に帰省しました。
バスを降り南ウイングから空港に入ったら運行掲示板が「欠航」の真っ赤な表示一色。
北ウイングのJAL案内の係員に何かあったのかと聞いたところ、コロナの影響で欠航している便もすべて電光掲示板に表示している関係で欠航便が多いのだとのこと。
あらためて、コロナの航空会社に対する打撃の大きさを痛感しました。
搭乗した飛行機はボーイング767-300の特別塗装機。
(特別塗装機は、1940年に公開された『ファンタジア』に登場する魔法使いの弟子の姿をしたミッキーマウスと、ミッキーが羽織るローブの赤をデザイン。機内のヘッドレストカバーや紙コップはミッキーを描いた特別デザインのものを使用する)
ヘッドレストのカバーやコーヒーの紙コップもミッキーの絵柄です。
東京スカイツリーも見えたのですが水蒸気が多くはっきり写真に写りません。
ちょうど日本列島の真ん中を飛行。左の窓から日本海、右の窓から太平洋を見ることができます。
東北地方の仙台から酒田の間の陸地の狭いこと。日本列島の幅の狭さが実感できます。
(青森上空)
(陸奥半島の牛の首岬)
(大間町上空)
(苫小牧港)
眼下に広がる牧草地も日本にしては広いのでしょうが、改めてヨーロッパと比べると2回りほど、こじんまりしています。
ただ、津軽海峡を渡った途端、空気の水分量が明らかに変わりました。
北海道上空からは本州と違い視界が良好です。
(ワルシャワ上空)
(ウクライナの上空から)
HOTEL MAZOWIECKI ワルシャワの平均的な安ホテル
ホテル マゾウィエキはワルシャワ市内にある平均的な安ホテルです。
日本からZIERONA GORA に行く途中にワルシャワに一泊する必要がありBooking.comで適当に探して予約しました。
料金の安さとワルシャワ旧市街へのアクセスが魅力です。
(150ZLくらい。季節で変動があります)
ちょうど駅からワルシャワ旧市街に至る道の中間にあります。
ワルシャワには日本への行きかえりと大使館のパーティ参加があり5回くらい訪問しました。
最初は道もわからなかったのでタクシーを使いましたが荷物をもっても歩ける距離です。
なんとなく気に入りワルシャワに行くときには定宿になりました。
トイレとシャワールームが共用ですが、朝食つきで食事も美味しく、なんといっても旧市街にも近いのが魅力です。
こんな小さな一方通行の路地にありますが、入り口だけは石造りのアーチで重厚な感じです。
ホテルから旧市街に続く路地
旧市街の広場、右の建物は王宮です
駅のそばにそびえたつソ連が作った文化科学宮殿
1955年スターリンの指示で作ったものです。
同時期にソ連国内に多数建設されたスターリン様式の摩天楼と同じですが、他の建物との違和感はぬぐえません。
遠くから見ると4面が同じに見え、高くて目につくのですが方向を見定めるにはちょっと不便です
部屋のベランダに出ると下の通りが見られます。
ただ、最後に帰国時に止まった時、下の通りにあるディスコやレストランで若者たちが大騒ぎ。
深夜2時を過ぎても収まりそうにありません。
結局4時くらいまで騒音に悩まされ眠れませんでした。
まあ、その後長い飛行機の旅があるので機内でゆっくり寝ればいいや位に考えていましたが。
冬場は本当に静かなホテルだったのですが、6月末ともなれば、夏。
陽も長くなってきて、飲みに出る時間もたっぷりあります。
特に「週末」は数百人が集まるようなので、騒音については覚悟が要ります。
Photon Robot (Chapter 2-2)
この迷路の中にある3つのお菓子をすべて回収すればOK.
でも、ステップの数は16と制限されています。
下のように単純に考えればよかったのですが、黄色の関門も通らなければならないと思い込んでしまいました。そうすると、どうしても17ステップ掛かってしまいます。
そのため、CHALLENGE 2
で獲得でした星の数が2つ。
下のルートに修正し、ようやくクリアーできて、星3つを確保しました。