ポーランド西部、ドイツ国境の街ジェロナグラ

ジェロナグラでの日本語教師生活日記、近郊の街、おいしい食べ物 ポーランドの文化 気がついたこと徒然なるままに。

交通ルール  ポーランド > 日本 > 中国

歩行者に対するマナーの良さは①ポーランド②日本③中国です。

横断歩道に立つとわかります。

 

ポーランド

ポーランドでは、横断歩道のそばに人が近づくだけで、車は止まってくれます。

私の住んでいる地域は、大学のすぐそばですが、街はずれ。

北海道の田舎と同じ。広い道路ですが車は頻繁に走ってはいません。

 

歩道に向かって数メートルあっても渡る気配の人がいれば、必ず止まってくれます。完璧な歩行者優先です。こちらが恐縮するぐらい。なぜなら、止まってくれた車の後ろには一台も車がいません。私の感覚なら、その車が止まってくれなくても、車が行き過ぎた後ゆっくり渡れます。最初はその間合いがわからず、かえって閉口しました。

止まってくれるので、どうしても速足で横断歩道を渡らなくてはという気持ちになってしまいます。

 

この、徹底がドイツ人に似ているのかもしれません。

ゲルマン人と西スラブ人、人種は違うのですが地域性でしょうか。

 

日本では

今日、犬の散歩をしていて気が付いたのですが、狭い道を、車が途切れずひっきりなしに通っていきます。

そんななか、横断歩道に立っていても絶対止まってくれません。

しばらく待って、車が途切れたところで、左右を十分確認して小走りに渡りました。

 

日本でも歩行者優先のはず?

確か道路交通法では歩行者がいれば車は一時停止がルールだと思います。

そういえば、私自身も車の運転中、横断歩道に歩行者がたっていてもブレーキを踏んで止まった記憶がありません。

子供が手でも挙げていれば別ですが。

 

中華人民共和国では

中国、ここは明らかに車優先です。力の強い者が勝つ世界です。

車は絶対人に道を譲りません。

それどころか少しでも邪魔だと思ったら遠慮なしにクラクションを連発します。

車同士でも同様。

だから、町中クラクションの音で満ち溢れています。

 

公共交通のバスも同様。頻繁に車線変更し、まるでバスがオートバイのように他の車の隙間をぬって、クラクションを連発しながら走っています。

ですから、町中で事故だらけ。バスに乗って街の中心までいく間に、必ずと言っていいほど、事故か故障で立ち往生した車を見ます。

 

この国で損害保険会社が自動車保険を販売したら、大変だと思うのですが。

でも、保険はあるようです。

 

コーヒーのいれ方

コーヒーのいれ方

ポーランドのコーヒー ヤコブが一番のブランドのようです。

そのパッケージを見ると4種のコーヒーの淹れ方が図柄で表示してあります。

①ペーパーフィルターを使う

②パーコレーター

③ドリップ

④そして最後が、カップにコーヒーをいれ、お湯を注ぐ

この4番目の方法、ウイーン式とかトルコ式というようです。

お湯を注ぎ、コーヒーの粉が沈むのを待って上澄みを飲む。

とても簡単で経済的な方法です。

 

日本からプラスチックの小さなドリップとフイルター100枚持っては行ったのですが100枚では2か月くらいしか持ちません。

 

最初はこの方法、イェレニアグラのT先生がポーランドの方から聞き、私に教えてくれたのですが、ポイントはコーヒーの粉をシンクに流さないことだそうです。そこは厳重に注意されたとのこと。

コーヒーの粉は分解しないのでパイプが詰まる恐れがあるようです。

 

この方法、慣れると便利です。

ただ、日本に帰ってやってみたら、大失敗。

粗挽きのコーヒーの粉はいつまでたっても沈みません。

自分でひいた粉は細かい粉が混じり、それが飲むとき雑味になります。

 

 

多分、ヤコブのコーヒーの粉はうまく粉が沈むように粉の大きさが研究され、細かく砕かれた粉は取り除いたうえでパッケージ化しているのだと思います。

 

ちなみにコーヒーの税率は23%もしますがそれでも、日本の半分くらいの値段で手に入ります。

 

 

 

 ちなみに私は日本ではこのコーヒーがお気に入りです。

 

 

ジェロナグラ大学 日本語講座 総集編

 

ポーランドの西部の街。

ワルシャワから7時間のジェロナグラ。

この街の「ジェロナグラ大学 人文学部」主催の日本語公開講座のボランティアとして

2018年10月~2019年6月末まで過ごしました。

 

 

日本語教師資格はいるのですか

個人的に日本語を教えるのにはもちろん資格なんか必要ありませんが、

日本語学校で教えるとか、ボランティアでも一定の組織に属する場合は

日本語教師の資格が必要です。

また、今回は大学で教えるので「学士」資格は大前提になります。

日本語教師の資格とは

○日本語能力検定試験に合格する

○420時間以上の日本語養成講座をうける

○大学で日本語教育を主・副専攻する

このいずれかに当てはまる人が事実上、

日本語教師の資格を持っていると認められます。

私は日本語養成を受講して資格取得しました。

ポーランドでの生活

もちろん、ボランティアですから給与は支払われません。

渡航費用、現地の生活費、海外旅行保険、すべて自分持ちです。

ただ、現地では「アパート代」「ガス、水道、電気、WiFi」それに町中を自由に乗り降りできる「バス定期」これらを支給してくれます。

それに、中欧、東欧は物価が安い。日常生活品の値段は日本の半分以下。この利点はとても大きいです。

普通にスーパーに行って買い物して、リュックに詰め込めないほど食料品を買っても2000円もしません。もちろんビールも100円前後で買えます。

普段の生活はほとんど食料品にかかるくらいなので、生活費は3万円もあれば十分です。外食もおいしいのですが、珍しい食材を買い込んで料理するのも楽しいものです。

 

日本語教師生活

月曜日、火曜日、水曜日の3日間、午後4時から1時間半の講座が2回ずつ。ほかの曜日はフリーです。街を散策したり、小旅行したり、コンサートに出かけたり。

受講生はさまざま。中心は大学生ですが小学校8年生(中学2年?)から大学の教授も参加しています。この大学で、すでに6年くらい継続して実施している公開講座なので上級者はもちろん日本語を(少し)話せます。

 

特別授業をご紹介します

割りばしの使い方

 入門クラス4クラスで「割り箸」の使い方を教えました。

紙袋に入った割り箸をひとり一膳ずつ配ったら、みんな大喜び。

もしかしたら、割り箸を見たことがないのかもしれません。

お箸はみんな知っていましたが(chopsticksと口々に言っています)

 お寿司屋さんに行けばありますが、お寿司は学生にはちょっと高すぎます。ほとんどの学生は行ったことがないようです。

こちらのお寿司はオードブルのような感じで一皿4000円はします。 飲み物と少し他の物を頼んだら7,8000円。2,3人で行くにしても高すぎます。

 裏返したり、箸を紙袋から出したりしまったり。

そのうち、生徒のひとりから質問です。

「おてもと」は何ですか?

??? 紙袋に書いてあります。 ???

 いまは、便利な時代です。わからなければ、即スマホ検索。一番簡単な答え。

「お箸のことです」これで、逃げました。

教えたこと

まず、割ってみせます。みんな、コワゴワと力を入れています。

なかには、割り口の反対から割ろうとする人も。

無事に箸も割れ、次は持ち方。手本を見せ、それから一人ひとり個別指導。

以外と簡単に覚えてくれました。若い人は柔軟です。

翌週、マメでも使って試験をしようかと思いましたが、やめておきます。

マメが飛び散って掃除がたいへんになると困りますから。

 

道教

定番の書道教室ですが好評でした。

「毛筆」と「墨」と「漢字」この3つが異文化である「日本らしさ」を感じさせるのかもしれません。

 

あまり、書き順など細かいことは言いません。

なかにはサウスポーも。逆から横線を書いています。

書く文字も自由。みんな、辞書やアプリや記憶のなかから思い思いの漢字を探しています。

決まらない人にはちょっとアドバイス

 

思い思いの字が完成しました。

ギリシア人のコンスタンチヌスは即席で富士山の絵を水墨画のように描いてプレゼントしてくれました。

うまい‼ かれは芸術家ですね。

筆の線が生き生きしていて、はじめての習字も筆跡がとても美しい。

 

「氷茶」「機体」「熊」「猫」「人」「波蘭」「夢」「気」「妻」

ドクターは「学生」、さすが先生ですね。

みんな、それぞれ大切なもの??を書いてくれたようです。

 

修了式 

今日から3日間、授業時間に合わせクラス別の修了式です。

 大学からの修了証書(ポーランド語)名前はもちろんですが、生年月日、出生地まで記入。裏には履修範囲と履修時間数。それに、人文学部長のサインが入ります。

それに加えて私の手作りの「修了証」

 完成した修了証は23枚、23人が今期の修了者です。例年にくらべ人数が少ないようですが、ほとんどの受講生が秋からの次年度の講座にも参加すると言ってくれています。

日本と日本の文化に興味を持ってくれる人がこのジェロナグラに増えてくれればこんなにうれしいことはありません。

最後に

たまたまのきっかけでこのジェロナグラに来たこと。

私にとって、おおきな収穫でした。やっぱり、考えるよりも、前に足を踏み出すことのほうが大切なんですね。

足を踏み出したおかげで、こんな素晴らしい人たちと触れ合うことができました。

 みんなに感謝、感謝です。

 

 こんなことを、あれこれやって過ごすうちに9か月が終わりました。

街に日本人が一人もいない状況で「ポーランド語」も全く話せません。

でも、こんな環境でもコミュニケーションも取れるし、問題なく生活できるものなのですね。

ただ、日本に帰ったら「浦島太郎」9か月不在の様々なつけがたまったのか、いろいろな問題が勃発。あっという間に年を取ってしまいました。

 

 

 

寿司時計-CL27S

寿司時計-CL27S

 

 

 

すし語辞典: 寿司にまつわる言葉をイラストと豆知識でシャリッと読み解く

すし語辞典: 寿司にまつわる言葉をイラストと豆知識でシャリッと読み解く

 

 

 

世界最大級のオンライン学習サイトUdemy

堀江貴文VS.鮨職人 鮨屋に修業は必要か?

堀江貴文VS.鮨職人 鮨屋に修業は必要か?

 

 

 

 

 

 

乗馬クラブ アパートの隣にあります

アパートのすぐ横に、乗馬クラブがあります。土曜日、日曜日たくさんの子供たちが乗馬を楽しんでいます。でも、レベルは高い。小学生、中学生、高校生くらいが中心で、親が車で送り迎え、柵の外で親は見学しています。

小学生が簡単に障害柵を飛び越えています。

やはり、大型のサラブレッド種やアラブ種の馬は足の長い白人のほうが似合っているようです。

北海道にあるような観光乗馬クラブならちょっと乗ってみようかと思いましたが、レベルが全く違います。ブーツも正式なものが必要、ヘルメットも。

脇の狭い柵の中にはポニーが2頭います。

このポニー、見ていると心が癒されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ワルシャワ 駅から空港まで

帰国もワルシャワ経由です。

6月末のワルシャワ、この日の気温は23度、湿度も64%と天気も良く、一番快適なシーズンです。

日の出が4時16分で日の入りが21時01分。

夜も7時間しかありません。

日中の日差しを避け、みんな夕方から活動するようです。

レストランで食事したり、公園を散歩したり、飲みに出かけたり、街中人出が多く賑わっています。

ホテルを出てこれから、電車でショパン空港へ。

ここは、ワルシャワ駅の駅前。

目の前に「文化科学宮殿」がたっています。この建物は、スターリン様式と呼ばれスターリンによってポーランドに贈与という形で建設されたものです。

私はこの建物、好きではありません。

立派そうに見えますが余分な飾りや窓の貧弱さでなぜか薄っぺらに感じます。

そして、何よりも上のほう四つの方向から見ると時計も窓も同じです。遠くから見るとどちらが正面で、どちらが裏側かわかりません。

つまり、方向を示すランドマークとして役に立たないのです。

大都会のワルシャワ、その駅前にそびえる無駄な建築物です。

 

スターリンといえば、彼はロシア人ではないんですね。600以上の少数民族のいるロシアで彼は「グルジア人」いまでいうジョージア出身です。

栃ノ心」と同郷ですが似ているような似ていないような。

ワルシャワ中央駅(Warzawa Centralna)の入り口。この会談を下ると駅の構内につながります。

右の巨大な泡のようなガラス張りの建物が奇抜です。ショッピングセンターです。

 

キップはプラットホームの上にある販売所で並んで買えたのですが、ショパン空港へ出る電車が来るプラットホームがわかりません。

キップには勝った時間の刻印が押されていてこの時刻以降有効、という意味でしょうか。

仕方ないので、一番近くのホームに降りて待っている人に聞くことにしました。

スートケースとリュック2個、それにショルダーバッグを持ちながらウロウロできません。夫婦らしき人に話しかけたら、イギリス人らしく英語しか話せませんと言ってくれたので、ラッキーでした。旅行者のようですが、4番線から出ると教えてもらえました。

ドーハ行きの飛行機は日本人は一人もいません。中東系の人と、欧州人。

これで、ポーランドも最後です。

 

 

ワルシャワ 最後の日(ワルシャワ歴史地区)

明日はワルシャワショパン空港からドーハ経由で日本に帰ります。

そこで、最後にもう一度、ワルシャワの旧市街に向かいました。

このクラクフ郊外通り(KRAKOWSKIE PRZEDMIESCIE)を進むと両側に大統領官邸やワルシャワ大学をはじめ貴重な建物が点在しています。

 

この通りをまっすぐ進み左に折れると歴史地区の中心です。

1980年ユネスコに「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産登録された所です。

 

通りの右のほう、だいぶ下がったところにヴィスワ川が流れ、その向こうにスタジアムを望めます。

 

 

途中で、写真の屋外展示がありました。

「連帯」の抵抗運動の写真です。

この十字架を背負ったキリストの像を囲む市民の下を盾と警棒を持ちヘルメットをかぶった武装警官が行進している写真、

亡くなったと思われる人の白ペンキの線にろうそくを灯し、座り込む人々、

連帯の文字のポスターのわきで花束を持ち立っている女性。

 

この国の歴史の重い一コマです。

 

 

右側の巨大な建物が王宮です。この正面から左に入った区域が「ワルシャワ歴史地区」と言われる旧市街地です。

 

第2次世界大戦で壊滅しましたが、市民の修復努力により「復元」されたものです。

 

壊滅時の写真はこの手前の博物館に展示されていますが、石造りの建物といえども、絨毯爆撃にはひとたまりもなく、東京大空襲の後の東京の中心地と大差ありません。

ほとんど、壊滅状態、瓦礫の山でした。

 

第一次大戦も第二次大戦も国と国の総力戦です。

その結果が、一般市民を巻き添えにした悲惨な戦いに突き進ませるのでしょう。

でも、市民の住む市街地をここまで破壊する意味があるのでしょうか。

 

 復興した街を見てわかるように、普通の市民が生活をしているだけの場所です。

軍需工場や軍隊の駐屯地があるのではありません。

そこには、普通の市民の暮らしがあるだけです。

 

この復興した街並みと破壊つくされた街並みを同時並行で見比べて初めてここの「復元文化財」としての意味が解るのかもしれません。

 

上の写真の突き当りから左に入った「広場」です

周りの建物は土産物店、レストラン、カフェが立ち並び広場の中心はテントが張られ観光客がビールやワインを飲んでいます

 

 

ポズナン小旅行(1泊)     2019年5月17日~18日

ポズナンの市庁舎広場

観光の中心は市庁舎広場です。

1月にワルシャワに向かう途中、乗り換えの2時間くらいで街を散策しました。

でも、この時は路面電車の切符を買う方法がわからず、残念ながらこの市庁舎広場までたどり着けませんでした。

トラムの中では「コイン」も「クレジットカード」も使えないのです。

ジェロナグラのバスでは両方ともバスの券売機で使えるのですが。

クレジットカードを通すような場所もあるのですが、何遍やっても反応してくれません。無賃乗車も嫌なので、駄目とわかった時点で次の停留所で降りた次第です。

あらかじめ乗車する前に、発券機かキオスクで準備する必要があるようです。

市民はプリペイドの専用乗車カードを使っています。

 

駅から市庁舎広場まではトラムが一番便利なのはわかっていましたが、今回は時間もあるし徒歩でゆっくり散策。

予約したホテルは、市庁舎広場の一本裏側にあります。

多分20分くらいでつくはずです。

 

駅前の高架道路の歩道を右に進むと向かいに森と公園があります。

この公園に沿って斜めに進んでいくと近道です。公園の入り口には昔の城門の要塞を活用したレストランがありました。

 

 

途中古い教会もありましたが、無事、市庁舎広場に到着。

ここの見どころは豪奢な旧市庁舎の建物です。

この建物の時計の上の扉が毎日12時に開くと2頭のヤギが現れ角を突き合わせて戦います。この2頭のヤギがこの街の象徴です。

これが、一番の見ものです。

 

この建物の時計の下が12時になると開きヤギが出てきます

旧市庁舎のわきには幅の非常に狭い長屋のような建物があります。

一軒一軒が色合いが違うのでとてもカラフル。

この建物の一番右側がレストランで、女の子が一生懸命客引き?をしていますが、一向に入ってもらえません。

でも、客引きの女の子も断る客もカラッとしたものです。

仕事を楽しんでいるようです。

明るい客引き?これなら観光地の雰囲気を壊しません。

 

 

広場から50mくらいのところに教会があります。

なかは、とても荘厳な雰囲気。

ポズナンポーランドの最初の首都と言われています。

クラクフの前の王国の首都なのでワルシャワが東京、クラクフが京都とするとポーランド最古の首都と言われるポズナンは奈良のような立ち位置の古都でしょうか。

 

広場の隅では、自家製のようなピアノを持ち込んだ若者がショパンを演奏しています。

広場にごく自然に、ピアノの生演奏が流れる、そんな雰囲気に癒されます。

 

 

 

真正面の建物が教会です

なかのマリア像は必見

今日は早めの夕食をイタリアンレストランで

夕食は早めに、教会手前のイタリアンレストランで。スパゲッティもおいしいのですが、ランチについてくるスープが絶品です。ボリュームも十分あります。

これで、1000円くらい。観光地のど真ん中のレストランでも安いものです。

 

この自転車はレンタサイクルです。自転車で回るのにもちょうどよいサイズの街です

これが泊まったホテルの共有のリビング兼ダイニング。

食事は街で買い込んできて食べます。

 

 

ホテルの入り口は普通の街中の民家と同じ。

普通の家の玄関ドアのわきに小さくホテルの名前が書かれているだけです。

普通の家に入るように小さな呼び鈴を鳴らすと女性がドアを開けてくれます。

 

市庁舎広場に近く便利が良いので、ホテルについてから何遍も出入りしました。

ちょっとビールやおつまみを買いに出たり、早い夕食に出かけたり、手ぶらでその辺を散策したり。

 

そのたびにドアを開けてもらうのも申し訳ないと思い、呼び鈴を押さずに試しに自分の部屋の鍵でドアが開くかとガチャガチャ差し込んでいたら、中から開けてくれて、「その鍵では開きませんよ」と言われてしまいました。

解っていたのですが、試しただけです。

 

 6月はほんとに日が長い。10時になって陽が沈んでも空が少し明るいままです